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「品川娯楽管」 のテレビ露出情報

吉岡秀隆の母の明子さんは、夫の正隆さんについては舞台やテレビの美術担当として、45年以上昭和の芸能を支えてきた。一生懸命で仕事熱心だったという。その戸籍で確認できる吉岡家の最も古い先祖は大田蒲田で暮らしている。その本家を守る吉岡芙美子さんは、その先祖の墓を紹介してくれた。石碑には江戸末期の吉岡家の先祖がこの地に暮らして250年目を迎えたと刻まれていた。その昔、旧蒲田村を所有していたが力をいれたのは花の栽培。北蒲田は古くから花の栽培の本場で、他の農作物よりも高く売れる花の栽培が盛んだった。村でも屈指の名家となった吉岡家は明治以降村長や村会議員などを吉岡の名が連なっている。そして明治の終わり頃に秀隆の曽祖父が北品川で生花店を開いた。官庁や宮内庁御用達の花屋で秀隆の祖母と祖父が経営していた。祖父は大店の長男で何不自由なく育てられた正雄は、お坊ちゃん気質そのものだったという。息子の康治さんは、父は贅沢三昧で優しい人だったという。昭和7年に秀隆の父の正隆が誕生した。いたずらをしては幼稚園から帰されるほどやんちゃな少年だったが遊び場に困ることはなかった。正隆が自ら生い立ちを綴ったメモがあり、花屋のすぐの商店街には毎日のように遊びに来ていた場所が。品川娯楽管は正隆の叔父が経営していた映画館で、二階桟敷席が遊び場で、毎日のようにチャンバラ映画を観て育ったという。

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