聴覚障害者の国際スポーツ大会、デフリンピックが日本で初めて開催される。選手だった喜多美結記者が模索を続ける指導者と将来デフリンピックを目指したいという子どもを取材した。品川区のフットサルスクールでは聴覚障害のある子どもたちおよそ30人が通っている。手話でコミュニケーションを取ったり、笛の代わりに旗で合図を出したりする。指導しているの植松隼人はデフサッカー男子日本代表の元監督で去年、ワールドカップで史上初の準優勝へ導いた第一人者。生まれたときから難聴で補聴器をつけている植松は小学生のときにサッカーを始めたが周りが聞こえにくさを理解して接してくれたため特に困ることはなかった。しかし、高校生になると状況が一変。口話が中心の周りの指示についていけず、コミュニケーションがうまく取れなくなった。こうした経験から、植松は聞こえなくても思いきりプレーができる環境を作ろうと8年前にフットサルスクールを立ち上げた。意識したのは一人一人の聞こえ方や聴力に合わせたコミュニケーション。植松に能力を引き出されたという生徒がいる。小学3年生の浅井茉耶は人工内耳を付けていてふだんの会話は声が中心。手話は勉強中で口の動きも大事な情報だ。2年前に地元のクラブでサッカーを始めたが周りの音が聞き取れずうまくいかないことが多かった。そんな茉耶に合わせて、植松は手話だけでなく声も出して指導している。植松の指導で手応えを感じている茉耶は新しい目標ができた。植松は来年のデフリンピックをきっかけに聞こえない人たちへの接し方に思いを寄せてほしいと考えている。また植松隼人は講演活動にも力を入れていて、先月の講演ではスポーツの普及に取り組む自治体の職員などに聴覚障害者とのコミュニケーションのポイントを伝えていた。