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「国立国会図書館」 のテレビ露出情報

日本で最初の丼は、約200年前の江戸時代に販売されるようになった“うな丼”説が濃厚。食文化の歴史研究家の飯野さんによると、中村座という芝居小屋の金主(スポンサー)をしていた大久保今助という人が大のうなぎ好きで、熱々のご飯の中に冷めないように蒲焼を挟んで芝居小屋に届けさせていたという。これが評判となり、芝居の街、日本橋・人形町で売り出されたのがうな丼のルーツとされている。また明治時代になるとうなぎの養殖が始まり、うなぎの流通量が増えた。より多くのうなぎを並べることができる重箱が使われ、見た目も豪華な「うな重」が売り出されるようになったと分析。
明治7~8年ごろに神田鍛冶町にある「仲野」という店で天丼を出すようになった。江戸時代、屋台などで親しまれていた天ぷらは、やがてそばやお茶漬けの具として楽しまれるように。そして明治時代に天丼が神田で売り出されるようになったという。新橋の「橋善」のような店でも天丼を出すようになって全国的に普及するようになったという。1989年には、天丼を当時1杯480円で提供する天丼てんやが八重洲地下街に誕生。人気の理由は安さだけでなく提供スピードにもあった。早さの秘密は、特別に作られたフライヤー。ほとんどのタネが1分30秒で最良の状態で揚がりフライヤーから出てくる。今では約150店舗を展開。
明治17年頃に生まれたのが親子丼。明治時代になると養鶏が盛んになり、高価だった卵が手に入れやすくなり、鶏肉の生産量も増えたことで親子丼誕生の舞台が整ったという。親子丼が確認できる最古の文献は、1884年明治17年9月の朝日新聞に掲載されている神戸元町の飲食店「江戸幸」の広告。ただし、現在の親子丼と同じものだったか定かではなく、馴染みのある親子丼の元祖と言われているのが、日本橋・人形町にある「玉ひで」。1891年ごろ、5代目店主の妻が、軍鶏鍋の残りを卵でとじてご飯nかける客の姿を見て考案したのが元祖親子丼のは自利とされている、。1969年、大阪・茨木市で手作りうどん店として誕生したなか卯が、1944年に親子丼の販売を開始し看板メニューに。物価高が進む中、2023年には親子丼並盛490円が450円に異例の値下げ。
明治20年頃には売り出されている“牛めし”。牛めしを牛丼として全国に広がるきっかけとなった店が、1899年に東京・日本橋で誕生した吉野家。忙しい魚河岸の職人向けに牛丼を提供。その後築地に移転すると1968年以降店舗を拡大。早い・うまい・安いをキャッチフレーズにチェーン化を進め、1978年には200店舗を超えるほどに。しかし19809年7月、急速な店舗展開による資金繰りの悪化やフリーズドライ肉の使用により「味が落ちた」と客離れが進み、約120億円の負債を抱え事実上倒産。しかし翌月にはフリーズドライ肉の使用を即座に中止し、本来の吉野家の味を取り戻して再建セールへ。1983年には当時西武百貨店や西友など日本音流通・サービス業界を牽引していたセゾングループの傘下に入り、当初の計画より前倒しの約7年で債務を完済。V字回復を成し遂げた。吉野家のライバル的存在の松屋も全国へ店舗拡大。元々中華飯店だった松屋は、1968年に江古田で牛めし・焼肉定食店としての松屋に。その当時から牛めしに味噌汁がついていた。松屋のロゴマークは、お盆の上にある牛めしと味噌汁を表している。松屋、吉野家を超え現在店舗数日本一を誇る牛丼チェーン店が「すき家」。カウンター席だけでなくテーブル席を設置することで、ファミリーやカップルなど幅広い客層に対応。チーズやネギ玉など業界初のトッピング牛丼を販売するなど、子どもから大人まで楽しめるメニューを展開し、急速に店舗数を拡大。
大正時代カツ丼が登場。誕生説には2つあると専門家は話す。ソースカツ丼については、現在福井にあるヨーロッパ軒の創業者が大正2年に考案したという説がある。ドイツでの修行から帰国後、東京・早稲田にヨーロッパ軒を創業し、料理発表会でソースカツ丼を初披露。その後福井へ帰郷し、ソースカツ丼を広めたという。卵とじカツ丼については、早稲田の三朝庵というそば屋が考案したと主張している。1918年ごろ、宴会のキャンセルで余ったカツをそばのつゆと卵でとじて提供したのが始まりとされている。
昭和46年に東京・国立市で誕生したすた丼。若い人に安くてうまいものを腹いっぱい食べてほしいという思いから賄い飯として考案したのがルーツとされている。その後伝説のすた丼屋として店舗展開を進め、現在では全国約200店舗に拡大。
2016年行列を作っていたのがローストビーフ丼。2011年以降、生食用の肉の規制を受け、レア感のあるローストビーフが人気に。さらに2014年から日本でインスタグラムが普及し、山盛りのローストビーフ丼はSNS映えすると話題になった。
住所: 東京都千代田区永田町1-10-1
URL: http://www.ndl.go.jp/

他にもこんな番組で紹介されています…

2026年10月20日放送 11:55 - 13:55 日本テレビ
ヒルナンデス!江東区深川魅力を新発見100年愛され名店を探せ
いとうさんらは、人情深川ご利益通りにある和菓子専門店「梅花亭」を訪れた。どら焼きは江戸時代、幕府の船が隊列整理にドラを使用していて、和菓子職人がその様子にインスピレーションを受けたことから生み出されたと言われている。「亜墨利加饅頭 250円」はパンのように釜で焼いた饅頭を開発したことから名前の由来となり、「佛蘭西饅頭 250円」はビスケット生地であんこを包み[…続きを読む]

2026年10月17日放送 18:30 - 18:56 テレビ朝日
土曜くりぃむ雑学土曜くりぃむ雑学
松尾芭蕉は生活費を稼ぐために土木工事のバイトをしていた。34歳の時、俳諧だけでは食べて行けず神田上水の建設工事に携わったという。当時読み書きなどができる貴重な人材で、事務方のマネジメント業務にあたっていた。俳諧のプロになったのはバイト中の35歳の時で、おくのほそ道へ出発したのは46歳の時だった。ちなみに「松島や ああ松島や 松島や」は松尾芭蕉ではなく田原坊作[…続きを読む]

2026年10月16日放送 19:57 - 20:42 NHK総合
チコちゃんに叱られる!(チコちゃんに叱られる!)
1+1の「+」はなぜこの形?その理由は「et」を速く書いたから。計算式は何千年も前から各国独自の表記をしており「+」も世界各国でバラバラだった。1+1のルーツとなったのがラテン語の「1 et 1」で、大航海時代に計算が盛んになり「et」を速く書いたため「+」という記号が生まれたと考えられている。ちなみに「-」の起源はドイツ語のミーヌス、「✕」は十字架を斜めに[…続きを読む]

2026年10月14日放送 16:48 - 19:00 テレビ朝日
スーパーJチャンネルnewsのギモン
新潟の越後線では古くなった橋桁の交換工事が107年ぶりに行われた。日本初の鉄道は1872年に開通した。鉄道設備の中には100年以上使われているものもある。鉄道ライターの枝久保さんに案内してもらった。1945年に東京大空襲で3階部分を焼失した東京駅は、2007年から2012年にかけて工事が行われて開業当初の東京駅に復原された。1943年に駅の営業を終了した万世[…続きを読む]

2026年10月12日放送 18:25 - 21:54 テレビ東京
YOUは何しに日本へ?&スーツケースにつめ込んで!(JAPANをスーツケースにつめ込んで!)
市場調査を開始。食材を購入したお店の人にエビなどを食べてもらう。ウナギを使用したアナゴを食べてもらうと言われないとウナギとはわからないと話す。お店の人2にはアナゴとホタテを選んだ。続いて町を歩いていた男女に聞く。マイタケはないため代用品としてエリンギにしてコリコリ感をエリンギの軸を薄くかつら剥きにして再現する。結果、マイタケ、大葉、トウモロコシが選ばれた。[…続きを読む]

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