続いてクラッシュ・ギャルズ。当時、あまりの人気に歌を出せば音楽番組に呼ばれアーティストばりに歌いまくっていたクラッシュ・ギャルズ。コンサートでは毎回、会場を満員にして大盛りあがり。今では考えられない大物アーティストがコーラスとして参加していた。デビュー前のDREAMS COME TRUEがサポートメンバーとして参加していた。ダンプ松本らも極悪バンドとしてたまにやっていたという。
DJ KILATOは日本語ラップの始まりはYMOだと紹介した。坂本龍一の活躍が知られるグループだがテクノラップを編み出したことが新風となった。そして、吉幾三「俺ら東京さ行ぐだ」も影響を与える形となった。当時の吉幾三さんは伸び悩んでいたが、アメリカの友人からラップのレコードを取り寄せて編み出した曲なのだという。