サーフィンの町で知られる千葉・一宮町の町内には風船爆弾の打ち上げ基地があったことを伝える石碑が建てられているが、その歴史を知る住人は然程多くない。町は戦後80年に合わせて風船爆弾に関する資料を展示する催しを開いた。太平洋戦争末期に戦況を打開するためアメリカ本土を直接攻撃するために開発された風船爆弾は、3か所の基地から約9000個が放たれた。このうち約300個がアメリカに落下し、民間人6人が犠牲になったとされている。風船爆弾に関連する資料は終戦時に処分が命じられたため詳細な記録はほとんど残っておらず、こうした資料は貴重なものとされている。戦後80年で記憶の風化が進む中、学芸員の江澤一樹さんは町内に残る風船爆弾の戦跡を残す取り組みを始めていて、なるべく多くの記憶を集めて後世に残していきたいなどとしている。