地震から1ヶ月後、雇用調整助成金を受け取ることが決まり、スタッフは自宅待機となっていた。弥生さんはホテル内の備品を集めて不安な気持ちを抑えていた。3月多田屋再生の動きがない状況に邦彦さんは苛立っていた。邦彦さんは旅館について「終わったら人生を終わる」という感覚で、終わらないがあんまりかんでないから寂しいなという部分があると話した。そんな邦彦さんは前立腺がんの腫瘍マーカーの数値が高く診察した所多発性骨髄腫と判明。先生には生きる年数の選択肢を上げられ10年生きようとすれば骨髄移植するしかないと言われ骨髄移植は嫌でさらに病院も金沢へ移動する必要があり拒否したという。
3月25日、健太郎さんは多田屋は新生の道を選ぶ。プレゼン資料を作る健太郎さん。そして事務所には2ヶ月ぶりの再開で喜ぶスタッフの姿があった。
3月25日、健太郎さんは多田屋は新生の道を選ぶ。プレゼン資料を作る健太郎さん。そして事務所には2ヶ月ぶりの再開で喜ぶスタッフの姿があった。