明治44年生まれ114歳の賀川滋子さんは現在、自宅で娘夫婦と暮らしている。健康の秘けつは毎日新聞を読むこと。そして週3日の足腰のリハビリ。今年自宅で転倒して骨折したが、自力で立つ努力を続けている。賀川さんが医師になったのは22歳の時。まだ女性の医師は珍しかった時代だった。賀川さんが医師を目指した1920年代、欧米で活発化した女性解放の議論が日本でも広がった。そうした中で教師や看護師、事務員といった仕事を中心に職業婦人が増加。1928年には西日本で初となる女子医学専門学校が大阪に開校。2期生として入学した賀川さんは勉強に明け暮れた。しかし、当時は女性が医師を目指すことに逆風も強く吹いていた。賀川さんが通った学校の設立文書には、女性医師は男性医師の妻としての役割を期待されていた。そんな時代の中、賀川さんは患者に向き合い続けた。