2004年、秋、返品されきたべにまさりは200ケース。合計80万円にのぼった。棚谷は、部下の金田富夫に捨てておいてと頼んだ。金田はもったいないと、保冷庫にそっと芋を隠し棚谷にも言わなかった。2ヶ月後、金田は芽を取ったべにまさりを子どもたちのサッカーで無料で振る舞った。するととても甘いと子どもからも大人からも大好評となった。金田は棚谷のもとに駆け込み、保管していたべにまさりが更に美味しくなっていると伝えた。棚谷はこれは絶対に売れると、県の研究機関と合同で、べにまさりを甘みを最大限に引き出す方法を研究し最適な保管方法を突き止めた。さらに棚谷は園田のオーブンを取り寄せ焼き方を徹底的に研究。誰が焼いても美味しくなるよう、芋の大きさ焼く温度による焼き上がりの違いをこと細かく書いたマニュアルを作った。渋谷たちも改良を重ね、形を安定して作れるようになっていった。棚谷はこのマニュアルを全店舗に配布しろと久保田義彦に伝えた。2005年、べにまさりの焼き芋販売がスタートした。しっとり甘い食感が評判となり日を追うごとに客が増えていった。売り切れる店が続出し、久保田は棚谷に「すごい売れ行きだぞ。残ってる芋を全部ください」と伝えた。その反響はまたたく間に広まり、他のスーパーからも売って欲しいと問い合わせが殺到。農家は作付け量を年々増やしていった。2013年、37年前わずか数百万円だった売上げは20億円に到達した。さらに紅はるかが誕生し焼き芋が広がっていった。2017年11月13日、行方のさつまいも作りが天皇杯を受賞した。
