太平洋戦争中、空襲が激しくなった東京から多くの子どもたちが地方などに学童疎開を始めて今年で80年。東京・江戸川区立鹿本小学校では経験者や集団疎開先の山形・鶴岡市の関係者が招かれ、平和について学ぶ催しが行われた。東京からの学童疎開は昭和19年から始まり、江戸川区内の国民学校の児童約4300人が鶴岡市内の寺や旅館などに学童疎開した。1年3か月にわたって鶴岡市の旅館に疎開した女性は当時を振り返った。疎開生活の中で一番印象に残っていることとして「父親が空襲で亡くなったことを聞き、とても悲しかった」と語った。