昭和11年に2・26事件が勃発した。学士会館は第14師団東京警備隊司令部が置かれ軍部に徴用されてしまった。さらに、太平洋戦争では本土空襲が発生し、会館の屋上には高射機関銃が設置された。その後戦争の激化により、金属類回収令となり館内にあった鉄柵者シャンデリアなどを供出することに。しかし金のカトラリーは賓客の接待用として必需品であると軍からの要求をはねつけたという。しかし、終戦後には学士達のマイホームは米軍の将校宿舎として接収された。その苦難の辛抱の時期を象徴する部屋がある。きらびやかな202号室は、かつてのミュージックルーム。GHQに接収されていた頃に進駐軍相手にバンド演奏も行われていた。ようやく学士会館が日本に返還されたのは、昭和31年の頃。再び会館に足を運んだ学士達はその姿に目を見張ったという。