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「太平記」 のテレビ露出情報

足利尊氏は後醍醐天皇に反旗を翻し、京から追放したことで、逆賊の汚名を着せられた。幕末、尊王攘夷を掲げる武士たちは足利家の菩提寺から木造の首を奪い、河原に晒すことになる。鎌倉幕府を打倒すると、後醍醐天皇による建武の新政がスタート。足利尊氏は京都で天皇を支え、弟の直義は鎌倉を任された。その後、鎌倉幕府の執権の遺児、北条時行が挙兵する。漫画家の松井優征氏は時行を主人公にした「逃げ上手の若君」を少年誌で連載している。同氏曰く、直義は実務能力に長けているが、戦下手で、奇跡を起こせるような人ではないという。対照的に尊氏はカリスマ性があり、戦では説明がつかない勝ち方をしている。
尊氏は天皇の許可なしに出兵したところ、天皇は問題視し、討伐隊を送り込む。一方、尊氏は天皇から賜った名前を使い続けた上、寺も建立していた。天皇の逆鱗に触れたことで尊氏は出家を決意するほどだったというが、周囲にとってはたまったものではない。代わりに指揮をとったのは直義だったが、戦では敗着を重ねた。すると、尊氏は兵を率いて勝利し、天皇を京から追い落とした。1338年、征夷大将軍に就任。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年5月1日放送 22:00 - 22:45 NHK総合
歴史探偵(歴史探偵)
鎌倉幕府の滅亡後、後醍醐天皇は建武の新政を始めた。各地に皇子たちを送り、地方支配の強化を目指した。公家の生まれだった北畠顕家は東北に派遣されたが、19歳の時、後醍醐天皇から「足利尊氏を討ち滅ぼせ」という命令がくだされた。東北から京都まで約800kmの道程を22日で踏破したといい、戦国時代に豊臣秀吉が行った中国大返し(10日で約230kmを踏破)を遥かに上回る[…続きを読む]

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