- 出演者
- 佐藤二朗 片山千恵子 河合敦
今回、室町幕府の初代将軍、足利尊氏にスポットを当てる。
- キーワード
- 足利尊氏
オープニング映像。
足利尊氏は後醍醐天皇に反旗を翻し、京から追放したことで、逆賊の汚名を着せられた。幕末、尊王攘夷を掲げる武士たちは足利家の菩提寺から木造の首を奪い、河原に晒すことになる。鎌倉幕府を打倒すると、後醍醐天皇による建武の新政がスタート。足利尊氏は京都で天皇を支え、弟の直義は鎌倉を任された。その後、鎌倉幕府の執権の遺児、北条時行が挙兵する。漫画家の松井優征氏は時行を主人公にした「逃げ上手の若君」を少年誌で連載している。同氏曰く、直義は実務能力に長けているが、戦下手で、奇跡を起こせるような人ではないという。対照的に尊氏はカリスマ性があり、戦では説明がつかない勝ち方をしている。
尊氏は天皇の許可なしに出兵したところ、天皇は問題視し、討伐隊を送り込む。一方、尊氏は天皇から賜った名前を使い続けた上、寺も建立していた。天皇の逆鱗に触れたことで尊氏は出家を決意するほどだったというが、周囲にとってはたまったものではない。代わりに指揮をとったのは直義だったが、戦では敗着を重ねた。すると、尊氏は兵を率いて勝利し、天皇を京から追い落とした。1338年、征夷大将軍に就任。
足利家に多くの贈り物があると、直義は賄賂に繋がりかねないとして、受け取りを固辞した。一方、尊氏は受け取った後、家臣に与えてしまった。佐藤二朗はきっちりとした弟、気前のいいお兄さんと足利兄弟を解釈した。
足利直義は裁判、朝廷との交渉など政務の大部分を担当し、尊氏は部下への恩賞など限られた仕事しかしなかった。誰に与えるかは尊氏の執事とも言える高師直が深く関わっていて、聖徳太子の墓を焼くなど、心理的な抵抗のあることを平気で行ったという。1349年、高師直は尊氏の屋敷を取り囲み、直義の解任を要求。史料によると、隠居を望んでいた尊氏は調停をほっぽりだす。直義は出家を決意した。
河合敦氏は「足利尊氏の思考回路をどう評価するか、意見が分かれていて、研究者泣かせの人物」と話す。精神科医の名越康文氏は「優しさのスケールが大きすぎるので、世間にそぐわない」と評した。戦上手でカリスマ性を備え、求心力があったことは、尊氏にとって悩みの種だったのかもしれないという。そして、実務能力に長けていた弟の直義と骨肉の争いを繰り広げることとなる。
1351年、足利直義は高師直の軍と激突し、南朝の援護もあって勝利を収めた。その後、師直はこの世を去り、直義は室町幕府に返り咲く。だが、尊氏の子息で政務を任されていた義詮と対立。加えて、武士たちからも反発を受け、直義は求心力を失っていった。清水克行氏は「所領を望む武士たちからすれば、恩賞授与権を持つ尊氏に吸い寄せられていく」と話す。戦で追い詰めた直義だったが、援軍を前になすすべもなく、尊氏に降伏。直後、謎の死を遂げる。
尊氏に降伏後、鎌倉に幽閉された直義は時を置かずして死去した。息子である義詮にとっては障害になりうると、足利尊氏が手を下した可能性があるという。佐藤二朗は嫌なことはほっぽりだす一面がある尊氏に親近感を抱いていた。
「歴史探偵」の次回予告。