- 出演者
- 佐藤二朗 片山千恵子 河合敦
今回、甲冑に秘められた数々のナゾを調査する。
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- 大鎧
オープニング映像。
スタジオには古墳時代に使われていた「短甲」、平安時代から鎌倉時代にかけて使われた「大鎧」、「当世具足」が用意された。佐藤二朗は大河ドラマで大鎧を着用したことがあり、かなり重かったという。また、甲冑の変化は武士の戦い方の変化などと大きく関係しているという。
春日大社には刀剣や甲冑が数多く所蔵されているなか、厳重に保管されているのが国宝の「赤糸威大鎧 梅鶯飾」。番組では離れた位置からレーザーを照射して大鎧の形状を測定し、高精細な写真データも併用して3DCGを生成。国宝を傷つけることなく、構造を分析することが可能となった。中世の武具に詳しい近藤好和氏によると、馬上から弓矢を放つ、いわば騎射戦で大鎧は最適だという。まず、弓をつがえると左脇腹が無防備となるため、防御性を高める作りになっている。栴檀板で右胸、草摺で腰や太ももを守りつつ、体に沿って自在に動くことも可能。
大鎧の威に注目すると、いくつも模様があり、貴族の装束の配色を模している。佐藤寛介氏は「貴族、公家、王朝文化へのあこがれが武士の中にあり、自らの鎧に取り込んでいる」と話す。
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- 東京国立博物館
河合敦氏によると、鎌倉時代の武士は日々、流鏑馬などを訓練していた。騎射戦こそ、武士の在り方という考えも生まれたという。また、大鎧のパーツである札は鉄製、革製のものがあり、全てが鉄製だと鎧の防御性は高まるが、機動力は落ちる。革製の札を織り交ぜることで軽量化を図っていた。
福山城博物館に所蔵されている「金箔押鯰尾形変わり兜」を紹介。甲冑師の笠井洋介氏によると、頭部を守る部分は鉄製だが、装飾は和紙や革などを漆で塗り固めたものが多く、軽量化を図っていた。異彩を放つ装飾がついた兜は兵士が入り乱れる戦場でも目立ったはずで、円滑な指揮統制につながったと考えられる。また、佐竹義宣が着用した兜は毛虫をモチーフにしていて、不退転の決意が込められているなど、武士たちの思考、考え方が変わり兜から読み取れるという。
徳島藩8代藩主だった蜂須賀宗鎮の甲冑から見てとれるのは装飾が絢爛豪華で、大鎧の特徴も備えていた。大鎧は式正の鎧と呼ばれ、古来から武士の正装とされてきた。戦わなくなったからこそ、象徴性が重視されたという。幕末になると、江戸幕府は交易に関する交渉を行うため、ヨーロッパ諸国に使節団を派遣した。立ち寄ったマルタ共和国では地元有力者に助けられ、甲冑が贈られた。ナポレオン3世に贈呈された甲冑も残されている。甲冑は様々な材料、技術を結集した総合芸術で、日本の文化力を象徴しているという。
幕末、西洋化が進むとともに甲冑は姿を消していった。だが、五月人形をはじめ、甲冑にあやかったものは身の回りに存在している。佐藤二朗は甲冑について、「日本文化の根底をなす存在のひとつだと改めて感じました」と語った。
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「歴史探偵」の次回予告。