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「女川原発」 のテレビ露出情報

女川原発の建設に親子で反対してきた父親と女性。父親は東日本大震災発生の33年前、地震による原発事故の危険性を指摘していた。東京の大学に進学していた美紀子さんも卒業後、実家に戻り、父親らの運動に加わった。反対派の団体が発行した機関紙がある。「鳴り砂」の題字は父親が書いたもの。原発建設の予定地となった浜にちなんで名づけられた。今も受け継がれ、累計発行回数は311回を数える。多くの仲間が支えた美紀子さんらの反対運動。当時の仲間とは今も交流がある。原発から1.5kmの場所に住む阿部七男さんも共に戦った1人。漁師だった七男さんは今も原発反対の考えは変わっていない。
根強い反対の声があった一方、原発建設を望む声も多かった。当時財政難にあえいでいた女川町にとって、原発の誘致は起死回生の一手でもあった。町は次第に賛成派と反対派に二分されていった。当時をよく知る人がいる。町の職員から町議となり、9期務めた木村公雄元女川町議は「内戦。武器のない闘いだった」と語った。木村町議は長年、原発の必要性を主張し続けてきた。水産業の他に目立った産業がなかった女川町。半島に位置し、離島も多い町はインフラ整備にも多額の費用がかかっていた。いま、町の自主財源である町税収入のうち約85%を占めるのが固定資産税。その8割以上を負担しているのが東北電力。財源の多くは原発頼みとなっている。また、電源三法交付金と呼ばれる国からの交付金がこれまで40年余で300億円近く交付されている。昨年度も7億円が町にもたらされた。
女川町・須田善明町長は「原発がもたらしたのは税収だけではない」と話す。原発では核燃料を冷やすため、大量の水を必要とする。町は東北電力が37km先の川から引いている水道設備を共同所有し、町民の生活用水として活用している。町にさまざまな恩恵をもたらすと期待された原発は約10年わたる論争の末、建設が決まった。美紀子さんら反対派の運動も次第に縮小していき、女川は原発の町として歩み始めていた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年6月16日放送 5:00 - 6:00 NHK総合
NHKニュース おはよう日本(特集)
宮城 女川町の離島・出島は東日本大震災で家屋の約8割が全壊し、500人の人口が80人になった。それでも失われなかったのが、島の人達の笑顔。島に3年通い続けたディレクターの報告。

2025年5月26日放送 22:00 - 22:45 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト(映像の世紀 バタフライエフェクト)
1945年8月。アメリカは第二次世界大戦の勝利に沸いていた。その数日前にアメリカは日本に2発の原爆を投下していた。アメリカ最大の化学メーカーのデュポンはマンハッタン計画が始まった時に参加を求められた。ただ参加には消極的だったという。利益は1ドルだったが、代わりに莫大な開発費を受け取ったという。他にもクライスラーなども開発に関わっていたという。原爆製造は高収入[…続きを読む]

2025年3月11日放送 22:00 - 22:45 NHK総合
NHKスペシャル(オープニング)
今、原発を活用する動きが加速している。一方、原発事故の後処理は道半ば。放射性物質を含んだ除染土について、国は福島県外で最終処分することを法律で約束しているが、受け入れ先は未決定。一部は福島のある集落に運び込まれている。

2025年2月13日放送 13:05 - 13:55 NHK総合
列島ニュース仙台局 昼のニュース
女川原子力発電所で事故が起き、2人のけが人が被ばくしたという想定で、医療機関などの対応を確認する訓練が、石巻市で行われた。石巻赤十字病院には専用の病棟がある。線量の測定等が行われた。仙台医療センターに送り出す手順等を確認した。

2024年12月29日放送 9:54 - 16:30 TBS
報道の日テレビ報道70年 8つの禁断ニュース
国内のエネルギー発電量(電源別割合)は原子力発電は8.5%。

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