伝承によると、平等院鳳凰堂の境内には酒呑童子、玉藻前の骸が納められているという。陰陽師は酒呑童子の住処を突き止め、討伐に成功したとされる。玉藻前は美女に化け、上皇を誘惑して朝廷を混乱に陥れるが、陰陽師によって退治された。この強い妖怪2体の死体を置くことで、他の妖怪の侵入を防いでいたという。また、平安京に都が移る前、天皇の近親者が次々と亡くなり、天災も重なった。陰陽師が導き出したのは桓武天皇の弟、早良親王の祟り。謀反の罪を着せられた親王は淡路島は配流となり、絶食して抗議するも、無念の死を遂げていた。鎮めるため、親王を祭神として祀る崇道神社だった。
江戸時代の観光案内には清水寺へ続く坂で躓くと、3年で死ぬと記されていた。かつて坂周辺は葬送の地で、遺体が運び込まれた。平安の人々は疫神という赤鬼が家々に侵入し、疫病を撒き散らすと信じていた。そこで、陰陽師は疫病対策の儀式を執り行った。
江戸時代の観光案内には清水寺へ続く坂で躓くと、3年で死ぬと記されていた。かつて坂周辺は葬送の地で、遺体が運び込まれた。平安の人々は疫神という赤鬼が家々に侵入し、疫病を撒き散らすと信じていた。そこで、陰陽師は疫病対策の儀式を執り行った。