喜劇の演技ができる俳優に憧れるという寺尾。大阪出身の石倉は、幼い頃は喜劇に興味がなく映画に夢中だった。憧れだったのは昭和の喜劇俳優・三木のり平。三宅が喜劇俳優になったきっかけは、母のすすめで日本舞踊を習わされたこと。自ら劇団を作ったのは、「音楽と笑いをかけ合わせたものを作りたい」という思いから。寺尾が芸能界に入ったのは、俳優で演出家の父・宇野重吉の影響。学生時代は野球に打ち込んでいたが、挫折して高校で落第。親に心配され、宇野の息子役として俳優デビュー。父から俳優の心得として教わったのは「音感・リズム感」。