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「富士川町」 のテレビ露出情報

日本航空石川高校は春夏4度の甲子園出場経験がある石川県の強豪。しかし今年1月に彼らがいたのは山梨県だった。去年秋の北信大会でベスト4になりセンバツ高校野球の出場校に推薦された。しかし今年の元日には能登半島を襲った大地震では、最大震度7の死者244人、全壊家屋は5766棟あまりに。日本航空石川の校舎は最も被害が大きかった輪島市にあり、野球部の寮も地震の被害を受けたが部員は正月のためにけが人は出なかった。しかし甲子園の歩みは止まってしまった。救いの手を差し伸べたのは山梨県にある系列校の日本航空学園。石川校の受け入れを決定し第一弾が甲子園を目指す野球部員が山梨に。その寝泊まりも教室でしているが教室の床に段ボールベットを置いて寝ている。
食事は食堂で行われ、一日三食出るが配膳も受け入れ先の生徒が手伝ってくれるという。キャプテンの宝田くんは福井県出身で、部員たちの気持ちを環境が変わってしまい、現実を受け止めることて難しかったがこうして皆で野球ができることがが嬉しいと答えた。同じ頃被災地の石川県ではチームに合流せずに避難所にいる部員がいた。福森誠也くんがは七尾市出身で、あの地震が起きた時には輪島市内の祖母の家にいて両親や兄弟も一緒だったという。着の身着のまま祖母をおんぶして逃げたという福森くん。しかし祖母の家は倒壊し住めなくなったという。避難所にいる祖母が心配で手伝っている状況でチームに合流できないでいるという。しかし試行錯誤した結果山梨へ行くことにしたという。
その旅たちの日、祖母と別れを告げた福森くんは日本航空学園へ。その翌日にはチームの全体練習を再開した。そのグラウンドは他校にあり、一ヶ月ぶりの練習になるという。廃校の増穂商業は日本航空石川の野球部のために山梨県と富士川町の強力で電気と水道を開通したという。福森くんも練習に参加し、被災者の人々に自分たちが頑張っている姿を届けたいと答えた。
その夜には選手主導のミーティングが開催。その議題は今高校野球をやる意義。選手たちは被災地や被災者への思い、支えてくれる人たちへの感謝や応援などをあげた。しかし被災した福森くんはこの日発言をせず。主将の宝田くんには被災者である彼とチームには違う考えを持っていると察していたという。それ故に彼にどう声をかけていいか難しいと答えた。チームは県外出身者が多く、大地震を経験をしていないことがチームの分断の危機を迎えていた。そんなチームに監督が動いた。

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