昭和31年11月、黒部の谷では50人の越冬隊の暮らしが始まった。トンネル工事は2交代制で24時間続けられた。中村はこれまで100近い同僚や部下の死と遭遇してきた。越冬する5ヶ月の間1人の犠牲者も出すまいと誓い、医師の鈴木康彦に頼み込み越冬隊に加わってもらった。親身に相談にのる鈴木はいつしか若い作業員たちからアニキと慕われていた。越冬隊員たちは緊急の業務以外で使えない無線電話で月に1度、鈴木が妻と話ができるように取り計らったという。鈴木は結婚して半年の新婚で、妻・茂子のお腹には赤ちゃんがいた。その頃、ブルドーザー部隊は、あと一息の所まで来ていた。中村は工事が完了するまで家族と別居することを決めていた。厳冬の黒部で戦う部下たちへのケジメだった。12月中旬、越冬隊は雪崩をおそれ工事を中断。その少し前、医師・鈴木のもとに、妻から肺浸潤で中絶したとの連絡が入った。越冬隊員たちはヘリコプターを呼ぶ下山してほしいと懇願するも鈴木は動かなかった。越冬生活が3か月を超えたある日、越冬隊の1人が本部の中村と打ち合わせのために一時下山することになった。鈴木はその隊員に妻への贈り物を託した。それは自分の手のぬくもりをだった。その隊員は右手をかばいながら下山し、そのぬくもりを、妻に伝えた。ブルドーザー組も100日ぶりに下山した。