1961年に農業基本法が施行され、需要拡大が見込まれる酪農や畜産の規模拡大が謳われた。土地に限りがある日本は家畜の餌を輸入に頼る道を選び、戦後穀物の過剰生産に悩まされていたアメリカが日本へ輸出を狙った。アメリカは日本の食卓に向けて畜産物の消費を推進するキャンペーンを展開した。牛乳の消費も学校給食などを通じて拡大した。日本は1960年代以降トウモロコシの輸入を拡大し、世界一の輸入国となった。さらに日本はトウモロコシなど栄養価の高い穀物を与えることで大量の乳を出すよう改良されてきたアメリカの牛の遺伝子を輸入してきた。日本の酪農家は種牛の冷凍精液をアメリカから輸入し始め、1頭あたりの生乳生産量を1.6倍に増やした。生産性の高い家畜と海外の安い餌を前提とした大量生産システムが作り上げられていった。一方で日本の食料自給率は79%から38%まで低下。食品を輸入するだけでなく畜産物の餌を海外に依存していることも要因となっている。農業基本法制定当時の農林事務次官は「家畜の餌を国内生産する視点を欠いていた」と反省を書き残している。