ラフカディオ・ハーンは松江にいた1年3ヶ月の間に西田千太郎の家を30回以上、訪問していたという。松江藩の貧しい武士の生まれだった西田は学業に勤しみ、成績優秀だったことから、「大磐石」と評された。18歳のときに教師に任じられたほどだという。英語が流暢だったため、ラフカディオ・ハーンの授業、生活面も支えた。古事記を愛読し、日本の神々に親しんでいたハーンにとって、出雲大社は憧れの場所。西田が紹介状を記したことで、ハーンは西洋人として初めて本殿に上がることを許された。一方、ハーンは西田の子どもに英語の本を進呈した。西田は結核により喀血することもあるなか、ハーンを献身的に支え、ハーンは「外国の評論家の評価より1人の日本の友人の称賛が一層嬉しいです」と手紙に綴った。「東の国から」の冒頭、ハーンは西田千太郎に捧ぐと記している。
