小学3年生の時にこの場所で被災・千尋真璃亜さんに話を聞く。豹変した海の光景はいまでも鮮明に記憶しているという。千尋さんは「津波という言葉は知っていた。命を落とすと思っていた。」等とコメントした。津波は屋上に迫ったが、児童らの命は救われた。そこにはある決断があった。井上元校長は垂直避難を決断した。今も正しいか悩んでいる。宮城県山本町からホラン千秋による中継。ホラン千秋は「児童は手すりを掴みながら屋上まで避難したそうだ。」等とコメントした。屋根裏の倉庫に入ったホラン千秋は「天井が低くて薄暗い。寒い為、児童らは段ボールや毛布をシェアしながら寒さをしのいでいたそうだ。」等とコメントした。
千尋真璃亜さんは「毛布のお陰で寒さをしのげた。へばりついてしのいでいた。」等とコメントした。翌朝、助けが来たのだという。千尋真璃亜さんは「次は守る側になりたい。」等とコメントした。ホラン千秋は「千尋さんは語り部を行っている。」等とコメントした。
千尋真璃亜さんは「毛布のお陰で寒さをしのげた。へばりついてしのいでいた。」等とコメントした。翌朝、助けが来たのだという。千尋真璃亜さんは「次は守る側になりたい。」等とコメントした。ホラン千秋は「千尋さんは語り部を行っている。」等とコメントした。