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「山端庸介」 のテレビ露出情報

フランス文学を専攻していた詩人の東潤さんは太平洋戦争中に福岡市の西部軍報道部に文筆家として徴用され、戦争の記録を残していった。1945年8月9日に長崎市に原爆が投下されるとその2時間後には画家の山田英二らと共に命令を受けて現地入りし、原爆を日本で初めて報道・記録した。報道記録の原本は6年前に息子の昭徳さんの自宅で発見され、文章には当時の悲惨な状況を事細かく表現されていた。今年3月には新たに終戦から7年後に書かれた潤さんの手記が発見され、そこには長崎での教訓が活かされずに戦後の冷戦期を迎えていることの嘆きが記されていた。

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