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「岩手大学」 のテレビ露出情報

「「あみだくじ」はなぜ「あみだ」?」というクイズが出された。宮田和弥さんが正解した。正解を言われてちょっと悔しいチコちゃんから名前の問題「原稿用紙のコレの名前は?」が出され正解は「魚尾」。正解は阿弥陀如来の後光に似ていたから。長野県立歴史館の笹本正治特別館長の解説。後光とは阿弥陀如来の知恵や御利益が人々に届く様子。昔のあみだくじは今のようなハシゴの形ではなく後光のように丸い形をしていた。室町時代のあみだくじは中心部からいっぱい線をひいて放射線の状態で「阿弥陀の光」と呼んでいた。もっとも古い記録は室町時代の貴族の日記「言継卿記」に「阿弥陀の光で酒をおごる者を決めた」と書かれている。室町時代後期の「犬筑波集」でも詠まれていて「阿弥陀の光」の丸い形の中心を隠して線を選ばせるくじがあったようです。阿弥陀信仰を民衆まで広めたのは法然。「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば誰でも極楽へ行けるという教えを広めて浄土宗を開いた。阿弥陀如来は身近な存在となり、もともと日本人はなにかあるときには未来を神仏に委ねる考え方があったことから阿弥陀様の後光を利用して占う「あみだくじ」ををつくった。かつては鹿の骨や亀の甲羅を焼いたときのヒビの割れ方で吉凶を占い政治を行っていたほど日本人は昔からくじに頼っていた。武田信玄は戦争の前に必ずくじを引いていた。「明治」という元号は松平春嶽が考えた候補の中から天皇がくじを引いて決定したといわれている。丸い形がなぜハシゴの形になったのか?本来は神仏の意見を聞くものだったのがだんだん複雑さを求め横棒を足してすぐに結果がでない遊び心がでてきた。こうして現在のようなハシゴの形になったと考えられている。遊びやすく盛り上がれる要素が加わり「あみだくじ」は何百年も遊ばれている。あみだくじの必勝法とは?岩手大学の山中克久教授によるとどの場所を選ぶとどこに落ちるのか確率を調べることはできる。計算によるとゴールの真上が当たる確率が高いという。逆にスタートとゴールが離れるほど確率は低くなる。実際にあみだくじで検証すると選んだ真下にゴールした。好きな「くじ」を聞かれたチコちゃんは「ニュースセンター9時」と答えた。「特別展 法然と極楽浄土」が東京国立博物館で6月9日まで開催。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年2月21日放送 0:25 - 0:55 フジテレビ
私のバカせまい史ひとり歩きしすぎたデマ史
1910年にはハレー彗星により地球の全生物が窒息死するというデマが広がり、自転車のチューブが爆売れした。12月25日のクリスマスはキリストの誕生日というのはデマ。キリストの誕生日は判明していないとされている。12月25日はヨーロッパでは太陽誕生の祝日で、同志社大学の関谷教授によるとキリストも太陽のように照らしてくれる存在ということでその日に合わせてお祝いする[…続きを読む]

2025年1月30日放送 19:58 - 21:48 テレビ東京
ナゼそこ?(極寒の山に住むスゴイ人SP)
鳥取・三朝町の路線バスの終点から歩き、0円生活を送る直人さんのもとを訪ねた。敷地内には自作の薪小屋やニワトリ小屋など6棟の建物があった。物置の中には太陽エネルギーを貯める蓄電池があり、建物の屋根にはソーラーパネルが付けられていた。直人さんは独学でソーラーシステムを製作し、取り付けも自ら行った。0円でもらってきた大量の部品やコードなどがストックしてあった。午後[…続きを読む]

2025年1月17日放送 19:00 - 19:30 NHK総合
NHKニュース7(ニュース)
今月12日までに全国およそ5000か所の医療機関から報告されたインフルエンザ患者数は1医療機関当たり35.02人。あすから始まる大学入学共通テスト。感染対策の下、入試会場の準備が進められている。東京都市大学入試課・飯山菜々子さんは、追試験の対応もしている、体調悪いと思ったらすぐに試験監督や従事しているスタッフに声をかけてと呼びかけた。31の道府県で前の週より[…続きを読む]

2025年1月16日放送 14:05 - 14:50 NHK総合
列島ニュース盛岡局 昼のニュース
大学入学共通テストが明後日から始まるのを前に、県内の試験会場の1つの盛岡市にある岩手大学では、案内板を設置するなどの準備作業が行われた。大学入学共通テストは明後日から2日間全国一斉に行われ、県内では盛岡市や滝沢市などにある合わせて7つの大学や短期大学などが試験会場になっている。大学入試センターによると、今年の県内の志願者数は去年より11人少ない4288人とな[…続きを読む]

2024年12月3日放送 23:50 - 0:35 NHK総合
歴史探偵(歴史探偵)
8世紀、東北地方で狩猟を生業にしていた人々は蝦夷と呼ばれた。蝦夷のリーダーがアテルイで、朝廷と戦いを繰り広げた。古墳群からは鉄製の矢じりが見つかり、形状からして殺傷能力が高く、毒を塗って使っていたという。さらに馬術も巧みで、朝廷の歴史書には「蝦夷1人の強さは朝廷の兵士十人に相当する」と記されている。789年、朝廷は蝦夷を討伐するため、東北に軍を派遣した。アテ[…続きを読む]

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