日本一から11日後、インタビューで今シーズンを振り返った岡田監督。監督就任当初から「優勝できる実力は備えている」と感じていた。ではチームの何を変えたのか。岡田監督は「選手は成長していないよ。だって選手個人個人の数字はそんなに良くないやんか。”普通通りにやったら勝てますよ”っていう雰囲気をずっと漂わせるというか」と語る。岡田監督が選手たちに求める”普通”は就任直後のキャンプから始まった。まず手を付けたのは守備。チームのエラーは5年連続12球団最多。その汚名を返上するため自らグラブをはめて指導した。選手にひたすら繰り返させたのは”基礎練習”。同時に取り組んだのは役割の明確化。例えば昨シーズン4つのポジションを守った大山悠輔は今シーズンはファーストに固定、さらに佐藤輝明は昨シーズンライトも守っていたがサードに専念させた。最適な役割を担ってもらおうと大胆な改革も行った。中野拓夢は昨シーズンまでショートを守り、ベストナインにも選ばれた。その中野をセカンドにコンバートした。本人は「最初はあまり納得できなかった。内野をやるうえではショートをやりたいとずっと思っていたから」と話す。突然のコンバートに戸惑う中野。しかし岡田監督には中野の力を最大限引き出す確信があった。去年まで解説者として中野のプレーを見ていた岡田監督。肩の強さに課題があり、アウトを取り切れない場面があると見抜いていた。そして中野が抜けたショートに肩の強い木浪・小幡にレギュラーを競わせた。適材適所、長所を最大限に引き出す。そして実力以上のことは求めず、与えた役割を確実に果たしてもらうことが岡田監督の”普通”。迎えた開幕。セカンドにコンバートされた中野は確実にアウトを奪っていく。中野本人は「ショートだと投げる距離があった分、どうしてもバウンドが遭わなくても多少前に突っ込んで投げる距離を短くしたいっていう気持ちがあって捕球ミスが非常に多かったが、セカンドになって距離が近くなった分、手先だけで投げられるので、気持ちに余裕ができた」と話す。開幕4連勝、チームは勢いづいた。
攻撃の面でも岡田監督は役割にこだわった。シーズンを通して極力打順を固定した。どう出塁し、つないでランナーを返すか。打順を固定することでそれぞれの選手に自分の役割を理解させるためだった。開幕2戦目、岡田監督は早くも選手たちの変化を感じ取っていた。延長12回、2アウト・ランナー1塁、打席には8番・小幡。フォアボールを選んだ直後にとったガッツポーズに岡田監督は「これでこのチーム何かできるじゃないって思った」と語る。地味だが確実につなぎチャンスを作るフォアボール。実はこの裏で岡田監督は”ある策”を講じていた。昨シーズンの阪神はボール球に手を出しチャンスを活かせないことが多かった。ボール球を振らない意識を根付かせるため、球団のフロントを巻き込んでいた。選手の年俸に関わる査定のフォアボールのポイントを上げさせた。ヘッドコーチとして岡田監督を支える平田勝男は、球団フロントまで動かす徹底ぶりに驚いたという。6月のロッテ戦は象徴的な試合となった。この日の相手は”令和の怪物”佐々木朗希。阪神は5回まで9つの三振を喫しノーヒットに抑え込まれる。互いに無得点で迎えた6回、先頭の中野は3球で追い込まれるもフルカウントからの6球目、フォークボールを見極めてフォアボールで出塁する。すかさず盗塁、チャンスを広げる。相手のミスで3塁へ。ここで4番・大山がタイムリーを放ち、2番が出塁→4番が返すというふうにそれぞれの選手が役割を果たしわずか1本のヒットで決勝点を奪った。
今シーズン、すべての試合で4番を任された大山は、打順が固定化され役割が明確になったことで意識が劇的に変わったという。かつて岡田監督のもとで投手コーチを務めた中西清起さんは、「選手が責任をもって役割を果たすことこそがチーム力の向上につながる」と岡田監督は考えているという。岡田監督が追い求める”普通”の野球は岡田監督の人生そのものだった。岡田監督の大学時代の恩師・石山建一さんは早稲田大学野球部監督として岡田監督を指導した。石山さんが植え付けたのは”基礎の徹底”。合宿では毎日500本以上のノックを課したという。岡田監督はその哲学を吸収していった。石山さんは「選手に期待以上のことを求めたってできっこないんだから。6持ってる人はちゃんと6を出してほしい。4持っている人は4を出してほしい。6持っている人が8を出すのは無理だから」などと語る。阪神にドラフト1位で入団した岡田監督は「やったとこの日が来た。阪神のユニフォームを着てこれで一員になれたと実感が湧いてきた」などと話した。岡田監督は個々の選手が役割を果たす重要さを身をもって体験することとなる。1985年、監督に就任した吉田義男。吉田さんはポジションや打順を極力固定し、選手それぞれの役割を明確にした。球史に残る「バックスクリーン3連発」。強力な打線を誇った当時の阪神。実はその影で地道で堅実なプレーがチームを支えていた。持ち味が異なる選手たちが役割を着実に実行することでチームは1つになる。阪神はこの年、球団史上初の日本一を成し遂げた。
順調な滑り出しを見せた阪神だったが、岡田監督が気にかけている選手がいた。2年連続で最多勝を獲得したエース・青柳晃洋。開幕戦こそ勝利するも、その後は4試合勝ち星なしに沈み、先発としての役割を果たせずにいた。岡田監督は5月下旬、青柳を2軍に落とす決断をした。岡田監督は「自分の中でスッキリしない部分があるんだろうし、迷っているというかな、自分の投球スタイルにね」、平田ヘッドコーチは「いつもの青柳らしさが全く感じられませんでしたから、精神的にもまいってるやろ。リフレッシュしてファームでやってこいって言った」などと話す。自分のピッチングを見失った青柳。昨シーズンと何が違うのか、フォームを見直した。「先発の役割を果たしたい」との思いから、2か月にわたって自分と向き合い直した。かつて岡田監督のもとでコーチを務めた正田耕三さんは、エースを2軍に落とすという一見シビアな決断の裏には、先を見越した選手への期待が込められるという。7月、岡田監督は青柳を約50日ぶりに1軍のマウンドにあげた。この日の試合、岡田監督は青柳を監督室に呼んで「きょうどんなピッチングしようが後半戦はローテーションで投げなあかんわけやから、楽に行け、きょうはね」と声をかけた。「プレッシャーは感じず普通にやればいい」という岡田監督の声を胸に青柳投手は「勝たなきゃいけないって思いが強かった中で、僕を見て呼んでくれたので、しっかり見てもらえているんだなってすごく嬉しかった」と語る。7回2失点、先発の役割を果たし、2か月ぶりの白星をあげた。お立ち台で青柳投手は「やっと帰ってこれました。ことし一番嬉しい1勝になったと思います」と語った。
シーズンが後半に入ると、選手たちは岡田監督の野球をより深く理解するようになっていった。快進撃を支えたのは「恐怖の8番」と呼ばれるようになった、ショートとしてレギュラーに定着した木浪聖也。8月の出塁率は3割8分超えと8番としては驚異の数字。木浪が起点となり出塁、上位打線につなげて得点する攻撃パターンが確立していた。岡田監督が与えた自分への役割を木浪はハッキリ理解できるようになっていた。チームを越えて浸透した岡田監督の”アレ”は、優勝を意識させず”普通”にプレーするための言葉。”アレ”がかかる9月14日の巨人戦、大勢のファンが見守る中18年ぶりのリーグ優勝を決める。優勝を決めた後のインタビューで岡田監督は「きょうで”アレ”は封印して、みんなで優勝を分かち合いたいと思います」と言った。
日本シリーズ進出を決めた阪神に立ちはだかったのは絶対的エース・山本由伸を擁するオリックス・バファローズ。パ・リーグを三連覇している。岡田監督はレギュラーシーズンと変わらない布陣で臨んだ。エース・山本と対峙した第1戦、大量8点を奪って勝利。しかし第2戦は逆に8点を奪われて1勝敗のタイに。第3戦・第4戦は互いに譲らぬ接戦となった。2勝2敗で迎えた第5戦、勝ったほうが日本一に王手をかける。4回に1点をリードされ迎えた7回、セカンドの中野など立て続けにエラー、”普通”の野球ができない。その時岡田監督は今シーズン初めて自らの指示で円陣を組ませた。自分たちが続けてきた野球とは何か。残されたイニングは2回、先頭バッターはつなぎ役に徹してきた8番・木浪。木浪は「自分は役割をわかっていたつもりだったので、”いつもどおり、いつもどおり”って自分に言い聞かせて。特別なことをやろうとすると力が入ってしまうので、できることをやろうって」と語る。そしてその木浪が出塁、すると打線がつながる。さらに1番に帰って近本もつなぎ、ノーアウト・ランナー1・2塁となる。そしてエラーをした2番・中野もバントでつなぎついに逆転。岡田監督が追い求めた”普通”の野球。選手たちは大舞台でその真骨頂を見せた。阪神はこの試合6-2で勝利し、日本一まであと1勝とする。そして迎えた第7戦、最後のバッターを抑えると38年ぶりの日本一に輝いた。阪神の元監督・吉田義男さんは「38年というと長いですね。苦楽を共にした仲間がこうして脚光を浴びることは非常に嬉しい。プロ野球をタイガースを蘇生させてくれたと思う。これから黄金時代を築いてほしい」と語る。日本一から5日後、岡田監督は余韻に浸る間もなくキャンプ地・高知に入った。「来シーズンは役割分担に加えて個々の成長も目指す」という岡田監督は、若手選手の力を見極めていた。新たな戦いの場に向けて岡田監督は”普通”の真価を追い求める。
攻撃の面でも岡田監督は役割にこだわった。シーズンを通して極力打順を固定した。どう出塁し、つないでランナーを返すか。打順を固定することでそれぞれの選手に自分の役割を理解させるためだった。開幕2戦目、岡田監督は早くも選手たちの変化を感じ取っていた。延長12回、2アウト・ランナー1塁、打席には8番・小幡。フォアボールを選んだ直後にとったガッツポーズに岡田監督は「これでこのチーム何かできるじゃないって思った」と語る。地味だが確実につなぎチャンスを作るフォアボール。実はこの裏で岡田監督は”ある策”を講じていた。昨シーズンの阪神はボール球に手を出しチャンスを活かせないことが多かった。ボール球を振らない意識を根付かせるため、球団のフロントを巻き込んでいた。選手の年俸に関わる査定のフォアボールのポイントを上げさせた。ヘッドコーチとして岡田監督を支える平田勝男は、球団フロントまで動かす徹底ぶりに驚いたという。6月のロッテ戦は象徴的な試合となった。この日の相手は”令和の怪物”佐々木朗希。阪神は5回まで9つの三振を喫しノーヒットに抑え込まれる。互いに無得点で迎えた6回、先頭の中野は3球で追い込まれるもフルカウントからの6球目、フォークボールを見極めてフォアボールで出塁する。すかさず盗塁、チャンスを広げる。相手のミスで3塁へ。ここで4番・大山がタイムリーを放ち、2番が出塁→4番が返すというふうにそれぞれの選手が役割を果たしわずか1本のヒットで決勝点を奪った。
今シーズン、すべての試合で4番を任された大山は、打順が固定化され役割が明確になったことで意識が劇的に変わったという。かつて岡田監督のもとで投手コーチを務めた中西清起さんは、「選手が責任をもって役割を果たすことこそがチーム力の向上につながる」と岡田監督は考えているという。岡田監督が追い求める”普通”の野球は岡田監督の人生そのものだった。岡田監督の大学時代の恩師・石山建一さんは早稲田大学野球部監督として岡田監督を指導した。石山さんが植え付けたのは”基礎の徹底”。合宿では毎日500本以上のノックを課したという。岡田監督はその哲学を吸収していった。石山さんは「選手に期待以上のことを求めたってできっこないんだから。6持ってる人はちゃんと6を出してほしい。4持っている人は4を出してほしい。6持っている人が8を出すのは無理だから」などと語る。阪神にドラフト1位で入団した岡田監督は「やったとこの日が来た。阪神のユニフォームを着てこれで一員になれたと実感が湧いてきた」などと話した。岡田監督は個々の選手が役割を果たす重要さを身をもって体験することとなる。1985年、監督に就任した吉田義男。吉田さんはポジションや打順を極力固定し、選手それぞれの役割を明確にした。球史に残る「バックスクリーン3連発」。強力な打線を誇った当時の阪神。実はその影で地道で堅実なプレーがチームを支えていた。持ち味が異なる選手たちが役割を着実に実行することでチームは1つになる。阪神はこの年、球団史上初の日本一を成し遂げた。
順調な滑り出しを見せた阪神だったが、岡田監督が気にかけている選手がいた。2年連続で最多勝を獲得したエース・青柳晃洋。開幕戦こそ勝利するも、その後は4試合勝ち星なしに沈み、先発としての役割を果たせずにいた。岡田監督は5月下旬、青柳を2軍に落とす決断をした。岡田監督は「自分の中でスッキリしない部分があるんだろうし、迷っているというかな、自分の投球スタイルにね」、平田ヘッドコーチは「いつもの青柳らしさが全く感じられませんでしたから、精神的にもまいってるやろ。リフレッシュしてファームでやってこいって言った」などと話す。自分のピッチングを見失った青柳。昨シーズンと何が違うのか、フォームを見直した。「先発の役割を果たしたい」との思いから、2か月にわたって自分と向き合い直した。かつて岡田監督のもとでコーチを務めた正田耕三さんは、エースを2軍に落とすという一見シビアな決断の裏には、先を見越した選手への期待が込められるという。7月、岡田監督は青柳を約50日ぶりに1軍のマウンドにあげた。この日の試合、岡田監督は青柳を監督室に呼んで「きょうどんなピッチングしようが後半戦はローテーションで投げなあかんわけやから、楽に行け、きょうはね」と声をかけた。「プレッシャーは感じず普通にやればいい」という岡田監督の声を胸に青柳投手は「勝たなきゃいけないって思いが強かった中で、僕を見て呼んでくれたので、しっかり見てもらえているんだなってすごく嬉しかった」と語る。7回2失点、先発の役割を果たし、2か月ぶりの白星をあげた。お立ち台で青柳投手は「やっと帰ってこれました。ことし一番嬉しい1勝になったと思います」と語った。
シーズンが後半に入ると、選手たちは岡田監督の野球をより深く理解するようになっていった。快進撃を支えたのは「恐怖の8番」と呼ばれるようになった、ショートとしてレギュラーに定着した木浪聖也。8月の出塁率は3割8分超えと8番としては驚異の数字。木浪が起点となり出塁、上位打線につなげて得点する攻撃パターンが確立していた。岡田監督が与えた自分への役割を木浪はハッキリ理解できるようになっていた。チームを越えて浸透した岡田監督の”アレ”は、優勝を意識させず”普通”にプレーするための言葉。”アレ”がかかる9月14日の巨人戦、大勢のファンが見守る中18年ぶりのリーグ優勝を決める。優勝を決めた後のインタビューで岡田監督は「きょうで”アレ”は封印して、みんなで優勝を分かち合いたいと思います」と言った。
日本シリーズ進出を決めた阪神に立ちはだかったのは絶対的エース・山本由伸を擁するオリックス・バファローズ。パ・リーグを三連覇している。岡田監督はレギュラーシーズンと変わらない布陣で臨んだ。エース・山本と対峙した第1戦、大量8点を奪って勝利。しかし第2戦は逆に8点を奪われて1勝敗のタイに。第3戦・第4戦は互いに譲らぬ接戦となった。2勝2敗で迎えた第5戦、勝ったほうが日本一に王手をかける。4回に1点をリードされ迎えた7回、セカンドの中野など立て続けにエラー、”普通”の野球ができない。その時岡田監督は今シーズン初めて自らの指示で円陣を組ませた。自分たちが続けてきた野球とは何か。残されたイニングは2回、先頭バッターはつなぎ役に徹してきた8番・木浪。木浪は「自分は役割をわかっていたつもりだったので、”いつもどおり、いつもどおり”って自分に言い聞かせて。特別なことをやろうとすると力が入ってしまうので、できることをやろうって」と語る。そしてその木浪が出塁、すると打線がつながる。さらに1番に帰って近本もつなぎ、ノーアウト・ランナー1・2塁となる。そしてエラーをした2番・中野もバントでつなぎついに逆転。岡田監督が追い求めた”普通”の野球。選手たちは大舞台でその真骨頂を見せた。阪神はこの試合6-2で勝利し、日本一まであと1勝とする。そして迎えた第7戦、最後のバッターを抑えると38年ぶりの日本一に輝いた。阪神の元監督・吉田義男さんは「38年というと長いですね。苦楽を共にした仲間がこうして脚光を浴びることは非常に嬉しい。プロ野球をタイガースを蘇生させてくれたと思う。これから黄金時代を築いてほしい」と語る。日本一から5日後、岡田監督は余韻に浸る間もなくキャンプ地・高知に入った。「来シーズンは役割分担に加えて個々の成長も目指す」という岡田監督は、若手選手の力を見極めていた。新たな戦いの場に向けて岡田監督は”普通”の真価を追い求める。