原発事故から3年、一時帰宅が許されるようになった小高区に初めてガイアのカメラが入った。昼間の立ち入りや店舗営業は認められるようになったが住むことはできない。街の玄関口・小高駅の駅前にいち早くオープンした事務所があった。小高ワーカーズベースでありこの地で事業を始めたい人の拠点となるシェアオフィスである。和田さんはこの時、37歳であった。システムエンジニアとして東京で6年間働いていた和田さんは故郷にUターンした矢先に被災してしまった。2014年6月、みんなで新たなプロジェクトを始めようとしていた。蚕を育てて繭から絹の糸を作る「お蚕様プロジェクト」である。小高は元々養蚕と機織が盛んな街で慣れ親しんでいた地場産業に復興の糸口を見つけようとしていた。元気にやって来たのは地元の女性たちであり、仕事ができたことで自然と笑顔になって多くのメンバーが仮設住宅から通ってきた。さらに空き店舗を活用した食堂「おだかのひるごはん」も開業し、おいしいものを出すことで一時帰宅してくる住民たちが気軽に立ち寄れる場所を作った。和田さんは4人家族でその生活も原発事故で一変していた。自宅に住めなくなり20キロ圏の外にある原町区の仮住宅で両親と暮らしていた。そして週末は妻と子が避難する会津若松市へやって来て2時間半かけて通う生活となっている。震災当時まだ小さかった長女は5歳となり長男は小学1年生になっていた。子どもたちが帰れる故郷を取り戻したいと和田さんは前を向いていた。
