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「平和の礎」 のテレビ露出情報

大阪に住む家族が祖父が戦地から送った手紙について情報を寄せてくれた。古い手紙の写真とともに孫にあたる女性の思いがあった。話を聞くため桐谷さんは大阪へ向かった。情報を寄せてくれたのは長崎久美子さん。激しい地上戦が繰り広げられ、20万人あまりが犠牲となった沖縄戦。久美子さんの祖父・高井信次郎さんも軍に招集された。一度も会ったことがなく顔も分からない祖父、信次郎さん。その妻で久美子さんの祖母にあたるキヨさん、3歳の久子さん、生まれたばかりの喜啓さんと暮らしていた。沖縄戦を前に妻と子どもたちは大阪へ疎開。信次郎さんから届いた手紙を大切に保管してきた。便箋3枚にわたる家族への思いを綴った手紙が書かれたのは1944年11月2日。信次郎さんが家族を疎開させた直後だった。家族との再開を願っていたが信次郎さんは1945年4月2日に亡くなった。手紙を書いた5か月後のことだった。家族の元に返ってきたのは信次郎さんが必要なものを入れて持ち歩いていた「奉公袋」。中に入っていたのは子どもの産毛。信次郎さんは生まれたばかりの息子・喜啓さんの髪の毛を戦地で大切に持っていた。父との再会を果たせなかった喜啓さんは80歳となった今、思いを語ってくれた。「悲しかった。あまり父とか記憶がない。」という。顔の分からない父がどんな人だったのか、親戚から話を聞いて思いを寄せてきた。喜啓さんは「電線の仕事をしていた。台風とかきたら修理にいかないといけないからすごい人だなと思う。時たま思い出して涙が止まらないときもある。あんな戦争はもうしたらあかん。」などと語った。久美子さんの母・久子さんも父を思い、生前、「沖縄の平和の礎に祖父の名前が刻まれているのを自分も見てみたい」と語っていたという。しかし歩くことができなくなり連れて行ってあげることができなかったという。母の願いを叶えられなかったと久美子さんは悔やんでいた。今月、戦後80年を機に久美子さんが夫婦で訪れたのは沖縄県・読谷村。信次郎さんの所属していた部隊の隊員の多くが亡くなった場所だ。慰霊碑には兵士たちの遺骨が納められている。そして訪れたのは母が一番来たがっていた「平和の礎」。信次郎さんの見つけることが出来た。礎に刻まれた祖父の名前。久美子さんは「無念な思いで大事な家族を残して、ある日突然将来の夢とか希望とか幸せとか全部奪われて戦争に行くしかなかった。死んでいくしかなかったことを私達もちゃんと覚えておかないといけないし、わたしたちの子どもや孫の代、もっとその先とか戦争なんて絶対にしてほしくない。」と語った。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年6月24日放送 5:50 - 9:00 日本テレビ
ZIP!NEWS
沖縄・糸満市の「平和祈念公園」の追悼式には、玉城知事や石破総理も参加して20万人以上の犠牲者を悼んだ。また、戦没者の名前を刻んだ平和の礎には遺族らが訪れて手を合わせていた。

2025年6月24日放送 5:00 - 6:00 NHK総合
NHKニュース おはよう日本(ニュース)
きのう6月23日は沖縄各地で祈りが捧げられた。「沖縄戦」から80年となり、戦没者を追悼し改めて平和を願う1日となった。沖縄・八重瀬町の海岸で1人手をあわせた呉屋兼常さんは母・きょうだい3人と逃げ回りこの海岸近くで米軍の捕虜になり父は戦死し妹・母を相次いで亡くし、孤児となった。糸満市では戦没者追悼式が開かれた。沖縄戦などで亡くなった人たちの名前が刻まれた「平和[…続きを読む]

2025年6月23日放送 21:00 - 22:30 NHK総合
ニュースウオッチ9(ニュース)
きょう6月23日は沖縄各地で祈りが捧げられた。「沖縄戦」から80年となり、戦没者を追悼し改めて平和を願う1日となった。80年前の沖縄戦では旧日本軍と米軍の戦闘に巻き込まれ20万人超の住民が犠牲に。最後の激戦区となった糸満市には沖縄戦の翌年住民たちが約3万5000人の遺骨を集め建立した魂魄の塔がある。同じ糸満市にあるひめゆりの塔では「ひめゆり学徒隊」の慰霊祭が[…続きを読む]

2025年6月23日放送 19:00 - 19:30 NHK総合
NHKニュース7(ニュース)
きょう6月23日は沖縄各地で祈りが捧げられた。「沖縄戦」から80年となり、戦没者を追悼し改めて平和を願う1日となった。沖縄・八重瀬町の海岸で1人手をあわせた呉屋兼常さんは母・きょうだい3人と逃げ回りこの海岸近くで米軍の捕虜になり父は戦死し妹・母を相次いで亡くし、孤児となった。糸満市では戦没者追悼式が開かれた。沖縄戦などで亡くなった人たちの名前が刻まれた「平和[…続きを読む]

2025年6月5日放送 10:25 - 13:00 テレビ朝日
大下容子ワイド!スクランブル(トップニュース)
沖縄を初めて訪問されている天皇陛下の長女・愛子さまがこれまで沖縄との縁を育んできたのは豆記者との交流だった。豆記者とは沖縄の子どもたちが夏休みに本土を訪れ取材体験をするもので、60年以上前に東京の中学校教諭らが企画して始まった。皇太子時代の上皇さまご夫妻が豆記者と対面されたことをきっかけに天皇ご一家との交流が広がった。2004年7月、愛子さまが2歳の時に交流[…続きを読む]

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