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沖縄で戦没者の遺骨、遺品の発見に奮闘する夫婦を取材。25年2月、洞窟で小中学生の持ち物が見つかった。
浜田哲二氏(62)は朝日新聞社の写真部に所属していた当時、ルワンダ、アフガニスタンなど紛争地を取材した。約30年前、沖縄で国吉勇氏と対面。自然洞窟で戦死者の遺骨、遺品を掘り出していて、浜田氏も妻の律子さんとともに沖縄に通い始めた。出身の高知では坂本龍馬のように、孤立してでも我が道を行くことが尊ばれている。律子さんは浜田氏が戦場カメラマンだった当時、氏が撮影した写真が掲載された新聞を見て、安否を確認していたという。遺骨収集ボランティアを始めた25年前、遺骨と石の区別がつかなかったが、2015年に日本兵の認識票を発見。部下の多くを喪った伊東孝一氏と関わりがあり、伊藤氏は戦後、部下の遺族に詫び状を送り続けていた。
伊藤氏は浜田夫妻との交流をはじめ、2020年に遺族からの手紙をすべて託して99歳でこの世を去った。夫妻は手紙の住所から遺族を探し、遺留品を渡した。身元特定のため、国のDNA鑑定の申請も勧めてきた。国吉氏は2016年に遺骨収集を退き、施設に入居。夫妻は託された遺留品をもとに遺族を探し出している。
国のDNA鑑定で遺族のもとへ帰った沖縄戦の戦没者は6人しかいない。そのうちの1人が21歳で戦死した金岩外吉上等兵で、遺骨を発見したのが浜田夫妻。さらに4年前、糸満のガマで女性や子どもの遺骨も掘り出された。夫妻は身元特定の一助になればと、沖縄戦を生き抜いた県民らにDNA鑑定の申請を勧めている。浜田氏は先の戦争を始めたのは国であり、戦没者の遺骨を家族に戻すことは国の責務と指摘する。
2022年、浜田夫妻は遺骨収集に専念するべく、終の棲家を沖縄で手に入れた。全国からやってきたボランティアメンバーにとって生活の拠点にもなっている。高木乃梨子さんは活動をきっかけに北海道で新聞記者としても働く。ある日、浜田氏が滑落し肋骨を3本折った。だが、退院の翌日には現場に赴いていた。
沖縄戦でガマは県民たちの避難場所だったが、日本兵によって追い出されたという。遺骨の大半が整理されたガマで浜田夫妻らが遺骨収集を始めたところ、旧制私立開南中学校の校章が見つかった。18歳以下の戦場への動員は志願兵を除けば、本土では前例がない。だが、沖縄では学生たちが少年兵として戦場に駆り出され、ある開南中の少年兵は負傷し、足手まといになるからと手榴弾で自決した。また、米軍が沖縄を制圧していくなか、日本兵は民間人の区別なく攻撃を浴びせたという。校章を発見したボランティアメンバーのなかには中学生がいて、2人は「悲しくて胸が痛い」と吐露した。さらに、 校章の発見が報じられると次々と連絡が殺到した。
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- 糸満市(沖縄)
浜田夫妻は開南中の元生徒と対面し、取材した。95歳の外間永徳氏は多くの学友と死に別れ、追悼式で遺族から「なんでうちの子は死んだのか」と言われた。それ以来、追悼式から足が遠のいたという。
ガマで開南中の校章以外に子供用の裁縫箱とみられる破片も見つかった。浜田夫妻の調査の末、裁縫箱に記された名前の同級生を発見することができた。川門徳栄氏は艦砲射撃で負傷し、姉が犠牲となった。さらに、カメラマンの大城弘明氏は終戦後、隣人の名前が上述した名前の人だったと証言。知念キヨさんは母となり、子宝に恵まれていた。2人の娘さんが取材に応じ、浜田夫妻は遺留品を手渡した。沖縄戦の戦死者は20万656人、DNA鑑定で身元が判明した民間人の遺骨は「0」。夫妻は遺族にDNA鑑定を呼び掛けている。