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瀬戸内海に今、異変が起きている。水中は透明度が高く澄んでいるが魚がいない。この状況を深刻に受け止める余傳吉恵さん。港町で唯一残る魚屋を営んでいる。海を守るために思いついたら何でもやる吉恵さん。再び豊かな海にして次世代に引き継ぎくことを人生最後の目標に掲げるが、厳しい現実が待っていた。
高度経済成長の時代、瀬戸内海では排水が海に流され過剰な栄養が溶け込んだことでプランクトンが異常発生。魚が大量に死に大きな社会問題となった。沿岸の各自治体は対策として海に流す排水を規制。その結果、海は美しさを取り戻したものの、今度は栄養分が激減し魚が住みづらい海になってしまった。岡山・倉敷市の港町・下津井からも魚が姿を消した。吉又商店は下津井で唯一残る魚屋。店主は余傳吉恵さん。魚を捌いている猪木信宏は去年入った貴重な戦力。店の奥は海産物や加工品を持ち寄って好きなように販売できるスペース「しもつい横丁」。吉又商店は長年ここで海産物を扱ってきて、しもつい横丁は去年吉恵さんが下津井を元気にしたいという思い出作った、いわば私設の市場。今、下津井の漁業は深刻な状態にある。魚が取れなくなったことで廃業する漁師も後を絶たない。山本博文さんはこの街で漁師を続ける数少ない漁師の1人。漁獲量はピーク時の3分の1。漁師の高齢化や後継者不足の問題も廃業に拍車をかけている。
2025年3月、しもつい横丁が1周年を迎えた。吉恵さんは手慣れた様子でSNSで情報発信を行っている。しもつい横丁には漁師によるお手製のグルメが並ぶ。SNSの効果もあってか大勢のお客さんで賑わった。魚屋になる前は小学校の先生だった吉恵さん。遠方からやってきた2人の教え子との再会は実に30年ぶり。多くの人に関わり人生を気遣う吉恵さんの生き方がそこにあった。
吉恵さんは月に1回地域の集まりに参加している。人口現象が進む街、活性化のためのまちおこしイベントの企画や空き家を活用した移住促進など様々な対策が話し合われる。この日、吉恵さんは下津井の漁師たちの現実と対策の必要性を訴えた。吉恵さんは「目指しているのはきれいな海じゃなくて豊かな海なんですよ」と話した。
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- 下津井(岡山)
下津井は江戸時代、北海道から全国各地に様々な物資を運ぶ北前船の寄港地として栄えた。海沿いには海鮮問屋が軒を連ね、賑わいは民謡で歌われるほどだった。明治以降は四国の金毘羅参りの玄関口として人の往来も盛んで、多くの観光客が訪れた。
昭和27年、吉又商店を営む夫婦の長女として生まれた吉恵さんは繁栄していた頃の下津井を知る世代。父親は四国の果物を船で買い付けて大成功し、地元の名士となり市会議員も務めた。しかし、時代の変化とともに商店の経営は悪化。吉恵さんが高校生の時に吉又商店は廃業に追い込まれた。吉恵さんは教員の道に進み、25歳で宏さんと結婚し3人の子の母になった。子どもたちは巣立ち、現在は夫婦ふたり暮らし。吉恵さんは58歳で教員を退職。1人で商店を細々と続けていた母親の世話をするため、一度は離れていた下津井へ。久しぶりに見た故郷の変わりように衝撃を受けたという。吉恵さんは見て見ぬふりはできないと吉又商店を引き継ぐことを決めた。
魚が取れなくなった瀬戸内海ではどんな対策が行われているのか。全国的にタコが有名な兵庫・明石市で行われているのは海底耕耘。約100隻の底引き網漁船が一斉に海に出て海の底を耕し、沈んだリンや窒素をかき上げる。兵庫県内では2008年から本格的に海底耕耘が行われ、明石市ではタコの漁獲量がここ3年増加しているが、対策の成果は不明で漁獲量もまだ十分とはいえない。一方、岡山県では下水処理施設から出る窒素(栄養塩)の量を高めて出すなどの取り組みを行っているが、海を変えるほどの効果はなく、より多くの栄養塩をを供給するよう取り組みを進めているという。
瀬戸内海では高度経済成長の時代から30年以上コンクリートの材料などに使うため、膨大な海の砂利が採取されてきた。そのために下津井の多くの生き物がすみかを失ったと吉恵さんは考えている。
吉恵さんは吉又商店の経営状況について税理士から厳しい指摘を受けた。年間の赤字は130万円。すでに数百万円の借金がある吉又商店にとって簡単に返せる額ではない。魚が激減しているため仕入れ値も上がり続けている。吉又商店の企業理念の一つがよい品をより求めやすく、よりよいサービスで提供できるよう努めること。73歳の吉恵さんは一緒に働く猪木さんを後継者にと考えているが、猪木さんは経営状況を詳しく知らない。どう伝えるか吉恵さんは悩んでいたが、本当のことを隠さずに猪木さんに話すことにした。
吉恵さんは吉又商店の経営状況について猪木さんに説明し、こだわりを捨てるという現実的な提案をした。「下津井産のこだわりは持っていきたい」と話した猪木さんを見て、吉恵さんは「本気でここを続けてくれると感じた。分かり合えた気持ち」とほっとしたような表情を見せた。
吉恵さんが仕入れに一際力を入れているのが下津井わかめ。母の時代に販売していて外国産に押されて一時消えかけたが吉恵さんが漁師に頼んで蘇らせたという経緯がある。魚が少なくなった今、下津井復活の起爆剤になるのではと期待している。下津井わかめの特徴は薄くて柔らかいこと。店ではお客さんが来ると必ず試食を勧めている。吉恵さんは自慢の下津井わかめを料亭に持ち込んだ。すぐに契約とはいかなかったものの、味も香りもお墨付きをもらえた。
吉恵さんは母校の下津井西小学校で5年生の総合学習の時間を特別講師として担当することに。教壇に立つのは15年ぶり。子どもの心を上手に掴み授業を行い、人間と生き物が共に豊かに暮らせる社会を作っていきたいと子どもたちに語りかけた。
吉恵さんは干しワカメの仕入れにやってきた。大切な下津井ワカメを守るため、漁師に自分がすべて買い取ることを約束して下津井沖のワカメを取りに行ってもらっている。一方、猪木さんは下津井の魚を少しでも多く扱って売り上げを伸ばしたいと、加工品にも力を入れている。吉恵さんは「早急に解決しようしたら副作用が出る。慌ててきれいに海にしたからきれいすぎる海になったけど、瀬戸内海は内海でいろんな県にまたがっている。7県が協力すれば必ず復活すると思う」と語った。