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「下津井節」 のテレビ露出情報

下津井は江戸時代、北海道から全国各地に様々な物資を運ぶ北前船の寄港地として栄えた。海沿いには海鮮問屋が軒を連ね、賑わいは民謡で歌われるほどだった。明治以降は四国の金毘羅参りの玄関口として人の往来も盛んで、多くの観光客が訪れた。
昭和27年、吉又商店を営む夫婦の長女として生まれた吉恵さんは繁栄していた頃の下津井を知る世代。父親は四国の果物を船で買い付けて大成功し、地元の名士となり市会議員も務めた。しかし、時代の変化とともに商店の経営は悪化。吉恵さんが高校生の時に吉又商店は廃業に追い込まれた。吉恵さんは教員の道に進み、25歳で宏さんと結婚し3人の子の母になった。子どもたちは巣立ち、現在は夫婦ふたり暮らし。吉恵さんは58歳で教員を退職。1人で商店を細々と続けていた母親の世話をするため、一度は離れていた下津井へ。久しぶりに見た故郷の変わりように衝撃を受けたという。吉恵さんは見て見ぬふりはできないと吉又商店を引き継ぐことを決めた。
魚が取れなくなった瀬戸内海ではどんな対策が行われているのか。全国的にタコが有名な兵庫・明石市で行われているのは海底耕耘。約100隻の底引き網漁船が一斉に海に出て海の底を耕し、沈んだリンや窒素をかき上げる。兵庫県内では2008年から本格的に海底耕耘が行われ、明石市ではタコの漁獲量がここ3年増加しているが、対策の成果は不明で漁獲量もまだ十分とはいえない。一方、岡山県では下水処理施設から出る窒素(栄養塩)の量を高めて出すなどの取り組みを行っているが、海を変えるほどの効果はなく、より多くの栄養塩をを供給するよう取り組みを進めているという。
瀬戸内海では高度経済成長の時代から30年以上コンクリートの材料などに使うため、膨大な海の砂利が採取されてきた。そのために下津井の多くの生き物がすみかを失ったと吉恵さんは考えている。

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