沖縄戦でガマは県民たちの避難場所だったが、日本兵によって追い出されたという。遺骨の大半が整理されたガマで浜田夫妻らが遺骨収集を始めたところ、旧制私立開南中学校の校章が見つかった。18歳以下の戦場への動員は志願兵を除けば、本土では前例がない。だが、沖縄では学生たちが少年兵として戦場に駆り出され、ある開南中の少年兵は負傷し、足手まといになるからと手榴弾で自決した。また、米軍が沖縄を制圧していくなか、日本兵は民間人の区別なく攻撃を浴びせたという。校章を発見したボランティアメンバーのなかには中学生がいて、2人は「悲しくて胸が痛い」と吐露した。さらに、 校章の発見が報じられると次々と連絡が殺到した。
浜田夫妻は開南中の元生徒と対面し、取材した。95歳の外間永徳氏は多くの学友と死に別れ、追悼式で遺族から「なんでうちの子は死んだのか」と言われた。それ以来、追悼式から足が遠のいたという。
浜田夫妻は開南中の元生徒と対面し、取材した。95歳の外間永徳氏は多くの学友と死に別れ、追悼式で遺族から「なんでうちの子は死んだのか」と言われた。それ以来、追悼式から足が遠のいたという。