山崎怜奈は、多賀城を創建1300年のタイミングで訪れ門から政庁があった場所まで歩いたがすごく遠かったと話した。多賀城碑は奈良時代に建てられたが江戸時代になって発見された。高橋英樹は、都から赴任してきた人が作ったとしたら西に対する憧れや西は極楽浄土の方角なので都の先にある極楽浄土に対する憧れから作られたのではと話した。千田嘉博は、西の方には平城京があり、都や各地からの距離も書いているので、我々はこれほど遠くにやってきて多賀城を築いたんだということ、南側にあるのは多賀城の正門なので来た人に示したかったのではと話した。
