国の帰還事業により夫と子供が北朝鮮へ渡った大原さん。後に大原さん自身も北朝鮮へ。当時は北朝鮮が「地上の楽園」として宣伝されていたが、実際にはそうではなかったと当時を知る人は証言。人はやせ細っていて、町にも活気が見られなかったという。帰国者からの日本への手紙は検閲されており、不平不満や国の批判はタブーだった。マスコミの論調も帰国を後押しするものだったという。80年代には北朝鮮の実情が広く知られるようになり、84年7月に事業が終了。1990年、関係者のもとに「大原さんは亡くなった」という手紙が。
北朝鮮帰国事業が終了したあとの1997年、現地に渡った日本人15人が一時帰国。2019年には事業60年の追悼式典も行われ、命がけで脱北した人たちが「みんな騙された」「一生懸命働いても自分さえも養えない」などと実情を証言。当時の北朝鮮は「地上の楽園」と宣伝されていた。拉致被害者の帰国にも目処が立っていない状況。去年、東京高等裁判所では北朝鮮政府に損害賠償を求めた4人の脱北者に対して、北朝鮮が過酷な生活を余儀なくさせたことなどを認める判決がくだされた。
北朝鮮帰国事業が終了したあとの1997年、現地に渡った日本人15人が一時帰国。2019年には事業60年の追悼式典も行われ、命がけで脱北した人たちが「みんな騙された」「一生懸命働いても自分さえも養えない」などと実情を証言。当時の北朝鮮は「地上の楽園」と宣伝されていた。拉致被害者の帰国にも目処が立っていない状況。去年、東京高等裁判所では北朝鮮政府に損害賠償を求めた4人の脱北者に対して、北朝鮮が過酷な生活を余儀なくさせたことなどを認める判決がくだされた。