丹下が手掛けた原爆死没者慰霊碑は当初、巨大なアーチ型のモニュメントになる予定だったが途中で変更した。千代さんは元々は平和のモニュメントとして作っていたが、設計していく中で、この場所に゙は慰霊碑が必要だと感じ途中で変更したという。元々慰霊碑は日系アメリカ人のアーティストのイサム・ノグチがデザインしていた。モニュメントや庭園などでマルチな才能を発揮。ノグチは地下からアーチを立ち上げて湧き上がるような死者の無念や、生きたいと思う気持ちを形にした。しかしアメリカ人に依頼したことに批判が発生し結局丹下が設計することに。野ざらしになっていた犠牲者を風雨から守りたいとそんな思いで古代の家型の埴輪からイメージしたという。今では核兵器の恐怖を世界に知らしめるシンボルとなった原爆ドーム。悲惨な記憶を思い出させると取り壊しの危機にあったことも。コンペの応募作でも2等や3等には原爆ドームは意識されず、丹下の案だけが原爆ドームを真正面に見据えていた。平和をただ祈るだけでなく闘い取る。広島平和記念公園は平和を作り出す工場なのだという。また平和記念公園のそばには広島市内を一望できるタワーのおりづるタワーが。眼下に広がる広島平和記念公園だが、さらに先を見据えた計画があったという。丹下は平和の軸線をさらに北に伸ばし原爆ドームの先にスタジアムや、体育館、図書館などを作ろうと考えていた。当時は予算不足で実現はできなかった。
住所: 広島県広島市中区中島町1-2
URL: http://www.pcf.city.hiroshima.jp/
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