吉川晃司さんはメッセージを発信する際に気を付けていることがあるという。それが「伝え方」。2011年の東日本大震災で被災地のボランティア活動に参加した際、東京に戻り被災地のリアルな実情を話すと引かれてしまったという。これは本能的なものだと思うと話している。こうした経験などからメッセージをただ強く発信するのではなく、エンターテインメントにして伝える努力が必要だと感じているとのこと。杉村さんは「私の祖父も終戦の時は、いくつかの特攻隊の空港があって、その空港の警備隊長だった。17・18歳の子を送るわけだが、祖父にとっても究極の辛い体験で、私が子供の頃にその話を聞くが、祖父は私の父には伝えていない。戦後何十年経ってようやく自分の中で話せるようになり、それがたまたま孫だったという、聞いちゃいけない雰囲気と同時にあまりに衝撃的なことで話せないのはあるんだろうなという気がする」等とコメント。