毎年1月、西本願寺で最も大切にされている法要が営まれる。親鸞の命日に行われる御正忌報恩講法要。どのような人も決して見捨てないという親鸞の教えに手を合わせる。法要後、参拝者が向かう場所がある。国宝・鴻の間。親鸞の子孫でもある歴代の門主と対面できる特別な場所として使われていた。この場所であらゆる人が出席できるお斎の接待が行われる。振る舞われるのは聖護院大根や湯葉の炊き合わせなどを使った精進料理。希望すれば誰でも食事を楽しむことができる。分け隔てなく人々と向き合う親鸞の教えは今も息づいている。異色の僧侶ともいわれる親鸞はどのような人物だったのか。比叡山延暦寺で20年間の修行を積むものの煩悩を完全に捨て去ることができずに山を降りた親鸞。僧侶でありながら自らを愚かな凡夫であるとした。そしてそんな自分でさえも仏によって救われるという他力本願を説く。親鸞の姿勢が表れているのが西本願寺の建物。親鸞の木像が安置される国宝・御影堂。この場所は毎朝5時半から全ての人々に向けて無料で開放されている。隣にある国宝・阿弥陀堂には極楽浄土を思わせる世界が広がる。御本尊の阿弥陀如来坐像が安置される綺羅びやかな仏殿の輝きが訪れる人々の心を掴む。長い歴史を歩んできた西本願寺。今、寺を取り巻く状況が大きく変化している。門徒数は5年で約20万人減少。これまでにない速さで減っているという。西本願寺の運営資金はお賽銭やお布施などが主だ。親鸞の教えでお守りや御朱印は扱っていない。関係する各地の寺からも負担金が納められているが、門徒の急激な減少はその根幹を揺るがしている。
奈良の西吉野にある光専寺。10年前に父親から住職を継いだ山本佐登子さん。かつては寺で何かあれば村中から門徒が集まり賑わっていたが、今では過疎化が進み、村人のほとんどが出て行ってしまった。お堂を維持するための費用ですら用意できずにいた。この日の法要に集まった門徒は60代~80代の4人。山本さんは寺を閉める廃寺について切り出した。すると門徒からは戸惑う声が返ってきた。山本さんは「私がやめておかないと後の人が困る。お参りする人がいなかったら何もならない。だからといって終われない。暫く頑張ろうかと」と話した。
西本願寺は人々の仏教に対する捉え方の変化にも直面している。仏教界では長らく家ごとに寺と関係を結ぶ檀家制度を前提にしてきた。しかし近年は核家族化や単身世帯の増加などにより、代々その家で続いてきた仏教との繋がりが途切れることも少なくない。2023年に行われた調査では「仏教に関心がある」と答えた人は1600人のうち1割ほどに留まった。宗祖・親鸞の血を引く西本願寺の第25代門主の大谷光淳さん。これまで大切にしてきた仏教の言葉が人々に届きにくくなっていることへの危機感を顕にした。仏教の言葉がどうしたら人々に届くのか。この日、各地の僧侶が西本願寺の会議室に集まっていた。西本願寺が4年前から開催する集まり。各地で行われた様々な試みが報告された。
広島にある西善寺。この寺でも新たな取り組みが始まっていた。通常の法要では漢文で書かれたお経などを唱えるが、ここでは現代語にしたものを使っている。新しいお経本には漢文の横に翻訳された文章が記載されていた。この日、唱えていたのは親鸞の教えが詰まった正信念仏偈。親鸞の言葉をもっと身近に感じてほしいと住職が専門家の意見を参考にして翻訳した。住職は「この形が響くという方もあれば、違う形によって響く方もおられるので、いろんな形があっていいのではないか。大事なのは伝えていく、共感をしていく」と話した。
西本願寺の内部で始まった新たな取り組みに今回初めてカメラが入った。浄土真宗の教えや現代社会における仏教のあり方などを考える総合研究所。今を生きる人々に届く仏教の言葉を研究する僧侶の香川真二さん。特に力を入れているのがSNSでの発信。一見とっつきにくいと思われがちな仏教の言葉の中に、実は物事の見方を変えたり、心が軽くなったりするようなヒントがあることを伝えようとしている。週1回、SNSで発信する言葉の協議を重ねる。世間ではよく使われる言葉だとしても、それをそのまま使って良いのか聖典と照らし合わせながら厳密な議論が続く。日常的に使われる「幸せ」の定義と僧侶たちの捉え方とでは隔たりがあるとして引き続き協議していくこととなった。SNSの介入から2ヶ月、香川さんたちは新たな言葉を発信しようとしていた。「雨が降るから虹が出る」。辛いと思うことでも仏の教えに触れると違う景色が見えてくるという言葉。しかし、熊本や愛媛などの各地で大雨による被害が発生。「誰にも寄り添わない文言にあきれる」などSNSには批判するコメントが集まった。価値観が多様化する時代に仏教の言葉を届ける難しさを改めて突きつけられた。
寺離れが進む都市部で気軽に仏教に親しんでほしいと活動する僧侶たちがいる。40歳前後の僧侶からなる大阪のグループ。定期的に集まり問題意識を共有している。時代の変化に即した僧侶像を模索している若林唯人さん。若林さんの家は代々住職を務める光照寺。300年ほど前から本山である西本願寺を支えてきた。この日は月1回のお茶会が開かれていた。若林さんは寺の副住職。10年前まで門徒は100件ほどだったが、今では半分ほどに減っている。この場で最も若い世代になる若林さん。門徒の多くはお寺が地域の中心だった時代からの付き合い。16歳で僧侶になった若林さん。寺に集う人たちと同じ目線に立って向き合い続ける父親の姿に僧侶として敬意を抱いてきた。その後、より多くの人に仏教に関心を持ってもらおうと宗派を問わず、前例にも囚われない僧侶たちの活動に参加する。お坊さんの恋愛事情を紹介したり、町家を貸し切って語り場を企画したりする中で、仏教の言葉に反応する人々がいることに気が付いた。
この日、大阪の中心部にあるビジネス街でイベントを開いた。学生や会社員などが集まる中、参加者の悩みに答えるトークセッションで若林さんに質問が寄せられた。悩み苦しむ参加者に若林さんはこれまで僧侶として学んできた言葉で答えようとした。しかし後日、若林さんは自分の受け答えについて深く反省していた。イベント後、質問した本人に声を掛けると若林さんの答えに納得していなかった。その後、若林さんに予期せぬ事態が起こる。父親の眞人さんに末期のがんが見つかった。余命数カ月と言われていた父親が僧侶としての言葉を残しておきたいと無理をして法話することになった。ここで若林さんは父・眞人さんの僧侶としての覚悟を目の当たりにすることになる。誰しもが避けることのできない死について自らを引き合いに出して語った父親。その姿は若林さんに強い印象を残した。法話の3日後、眞人さんは亡くなった。若林さんは「悲しさとか別れの辛さを教えてもらえた。浄土に生まれて仏となるって「何じゃそら」なんですけど、そこに支えられる。改めてその心強さを実感させてもらいました」と話した。父親が亡くなって3カ月、若林さんは再びイベントを開いた。若林さんは僧侶として新たな一歩を踏み出そうとしていた。
西本願寺のSNS発信に取り組む香川真二さんは親鸞の教えを届けるための協議を続けていた。香川さんは「苦しみ悩み多い人生の中で、仏教というのは死んだあとのものじゃなくて、生きている我々、今の私たちにとって、ものすごく力になるものなんだと気付いてほしい」と話した。師走の伝統行事「御煤払い」。御影堂・阿弥陀堂で約500年続く。新たな1年がまた始まっていく。
奈良の西吉野にある光専寺。10年前に父親から住職を継いだ山本佐登子さん。かつては寺で何かあれば村中から門徒が集まり賑わっていたが、今では過疎化が進み、村人のほとんどが出て行ってしまった。お堂を維持するための費用ですら用意できずにいた。この日の法要に集まった門徒は60代~80代の4人。山本さんは寺を閉める廃寺について切り出した。すると門徒からは戸惑う声が返ってきた。山本さんは「私がやめておかないと後の人が困る。お参りする人がいなかったら何もならない。だからといって終われない。暫く頑張ろうかと」と話した。
西本願寺は人々の仏教に対する捉え方の変化にも直面している。仏教界では長らく家ごとに寺と関係を結ぶ檀家制度を前提にしてきた。しかし近年は核家族化や単身世帯の増加などにより、代々その家で続いてきた仏教との繋がりが途切れることも少なくない。2023年に行われた調査では「仏教に関心がある」と答えた人は1600人のうち1割ほどに留まった。宗祖・親鸞の血を引く西本願寺の第25代門主の大谷光淳さん。これまで大切にしてきた仏教の言葉が人々に届きにくくなっていることへの危機感を顕にした。仏教の言葉がどうしたら人々に届くのか。この日、各地の僧侶が西本願寺の会議室に集まっていた。西本願寺が4年前から開催する集まり。各地で行われた様々な試みが報告された。
広島にある西善寺。この寺でも新たな取り組みが始まっていた。通常の法要では漢文で書かれたお経などを唱えるが、ここでは現代語にしたものを使っている。新しいお経本には漢文の横に翻訳された文章が記載されていた。この日、唱えていたのは親鸞の教えが詰まった正信念仏偈。親鸞の言葉をもっと身近に感じてほしいと住職が専門家の意見を参考にして翻訳した。住職は「この形が響くという方もあれば、違う形によって響く方もおられるので、いろんな形があっていいのではないか。大事なのは伝えていく、共感をしていく」と話した。
西本願寺の内部で始まった新たな取り組みに今回初めてカメラが入った。浄土真宗の教えや現代社会における仏教のあり方などを考える総合研究所。今を生きる人々に届く仏教の言葉を研究する僧侶の香川真二さん。特に力を入れているのがSNSでの発信。一見とっつきにくいと思われがちな仏教の言葉の中に、実は物事の見方を変えたり、心が軽くなったりするようなヒントがあることを伝えようとしている。週1回、SNSで発信する言葉の協議を重ねる。世間ではよく使われる言葉だとしても、それをそのまま使って良いのか聖典と照らし合わせながら厳密な議論が続く。日常的に使われる「幸せ」の定義と僧侶たちの捉え方とでは隔たりがあるとして引き続き協議していくこととなった。SNSの介入から2ヶ月、香川さんたちは新たな言葉を発信しようとしていた。「雨が降るから虹が出る」。辛いと思うことでも仏の教えに触れると違う景色が見えてくるという言葉。しかし、熊本や愛媛などの各地で大雨による被害が発生。「誰にも寄り添わない文言にあきれる」などSNSには批判するコメントが集まった。価値観が多様化する時代に仏教の言葉を届ける難しさを改めて突きつけられた。
寺離れが進む都市部で気軽に仏教に親しんでほしいと活動する僧侶たちがいる。40歳前後の僧侶からなる大阪のグループ。定期的に集まり問題意識を共有している。時代の変化に即した僧侶像を模索している若林唯人さん。若林さんの家は代々住職を務める光照寺。300年ほど前から本山である西本願寺を支えてきた。この日は月1回のお茶会が開かれていた。若林さんは寺の副住職。10年前まで門徒は100件ほどだったが、今では半分ほどに減っている。この場で最も若い世代になる若林さん。門徒の多くはお寺が地域の中心だった時代からの付き合い。16歳で僧侶になった若林さん。寺に集う人たちと同じ目線に立って向き合い続ける父親の姿に僧侶として敬意を抱いてきた。その後、より多くの人に仏教に関心を持ってもらおうと宗派を問わず、前例にも囚われない僧侶たちの活動に参加する。お坊さんの恋愛事情を紹介したり、町家を貸し切って語り場を企画したりする中で、仏教の言葉に反応する人々がいることに気が付いた。
この日、大阪の中心部にあるビジネス街でイベントを開いた。学生や会社員などが集まる中、参加者の悩みに答えるトークセッションで若林さんに質問が寄せられた。悩み苦しむ参加者に若林さんはこれまで僧侶として学んできた言葉で答えようとした。しかし後日、若林さんは自分の受け答えについて深く反省していた。イベント後、質問した本人に声を掛けると若林さんの答えに納得していなかった。その後、若林さんに予期せぬ事態が起こる。父親の眞人さんに末期のがんが見つかった。余命数カ月と言われていた父親が僧侶としての言葉を残しておきたいと無理をして法話することになった。ここで若林さんは父・眞人さんの僧侶としての覚悟を目の当たりにすることになる。誰しもが避けることのできない死について自らを引き合いに出して語った父親。その姿は若林さんに強い印象を残した。法話の3日後、眞人さんは亡くなった。若林さんは「悲しさとか別れの辛さを教えてもらえた。浄土に生まれて仏となるって「何じゃそら」なんですけど、そこに支えられる。改めてその心強さを実感させてもらいました」と話した。父親が亡くなって3カ月、若林さんは再びイベントを開いた。若林さんは僧侶として新たな一歩を踏み出そうとしていた。
西本願寺のSNS発信に取り組む香川真二さんは親鸞の教えを届けるための協議を続けていた。香川さんは「苦しみ悩み多い人生の中で、仏教というのは死んだあとのものじゃなくて、生きている我々、今の私たちにとって、ものすごく力になるものなんだと気付いてほしい」と話した。師走の伝統行事「御煤払い」。御影堂・阿弥陀堂で約500年続く。新たな1年がまた始まっていく。
