2022年11月、東京・府中市。7つの店を展開するママ・高橋映子さんは店長たちと大國魂神社の酉の市に熊手を買いにやってきた。府中は少しのどかな都会。夜は提灯やネオンがまたたく大人たちのオアシスになる。府中の駅の真ん前にあるのが映子ママがはじめてつくったお店ミュウ 府中店がある。今では常連さんの笑い声が響く店になった。今はグループ全体で スタッフ150人以上を抱えるまでになった。困っている人をみると、新たな仕事を作ってまでも世話をしてきた。夜の仕事をはじめたきっかけは母親が他界したこと。18歳でこの道に進みそれ以来、夜の仕事一筋。この日、映子ママがやってきたのは今よりも一回り大きな物件。スタッフに頑張れる居場所を作ってあげるのだという。聖蹟桜ヶ丘に出したお店「夢を推すしかない」はアイドルを売りにしたコンセプトカフェ。名前を考えたのはアイドルオタクの店長・野地さん。オープンから2ヵ月を過ぎてもお客さんは1日1組程度。この日の売上げは2万円ほどで家賃のたしにもならない。アルバイトの給料を払ったら完全な赤字。野地さんは福島県出身で有名私立大学への進学で上京したが、就職活動がうまくいかずに水商売の道に進んだ。4年前に映子ママと出会った。自分を理解してくれた人と出会ったのにこのままではまた見放されてしまうと追い込まれていた。
映子ママがこの日むかったのはスポーツジム。待っていたのは入社5年目のキャストまきさん。太ってしまったまきさんをジムに誘い映子ママが費用を払って、付き合っていたのだ。1度は都会に出てみたいと上京したまきさんがたどり着いたのはママの店。お化粧をママに教わり、ジムの帰りには映子ママが家で手料理を出す。不規則になりがちな夜の仕事、キャストやスタッフの健康管理には目配りが欠かせない。映子ママは東京・笹塚育ちでシングルマザーの母は映子ママと弟を育てるためにスナックで働いていた。病弱で常にお母さんに会いたい寂しさを抱えていたが、その母も病気で他界。18歳で働きはじめたキャバクラで出会った男性と結婚したが、夫の浮気が原因で離婚。2人の子どもを育てるためにたどり着いたのが夜の府中だった。ミュウ 府中店の店長さくらさんは18歳で実家から飛び出してきた。過去の自分と似たさくらさんをほっておけないかった映子ママはオープンしたばかりの店で働かせた。映子さんをはじめてママと呼んだのはさくらさんだった。東京のお母さんのような映子ママ。ある日の開店前に映子ママは店長たちを呼び出した。「夢を推すしかない」の店長・野地さんは黒字になった日はなく赤字が続いていた。デッドラインを提示され残された時間は1ヵ月。夢推しのピンチに続き、大変な事態が起きていた。さくらさんに映子ママから手術するので入院すると連絡がきた。
映子ママがこの日むかったのはスポーツジム。待っていたのは入社5年目のキャストまきさん。太ってしまったまきさんをジムに誘い映子ママが費用を払って、付き合っていたのだ。1度は都会に出てみたいと上京したまきさんがたどり着いたのはママの店。お化粧をママに教わり、ジムの帰りには映子ママが家で手料理を出す。不規則になりがちな夜の仕事、キャストやスタッフの健康管理には目配りが欠かせない。映子ママは東京・笹塚育ちでシングルマザーの母は映子ママと弟を育てるためにスナックで働いていた。病弱で常にお母さんに会いたい寂しさを抱えていたが、その母も病気で他界。18歳で働きはじめたキャバクラで出会った男性と結婚したが、夫の浮気が原因で離婚。2人の子どもを育てるためにたどり着いたのが夜の府中だった。ミュウ 府中店の店長さくらさんは18歳で実家から飛び出してきた。過去の自分と似たさくらさんをほっておけないかった映子ママはオープンしたばかりの店で働かせた。映子さんをはじめてママと呼んだのはさくらさんだった。東京のお母さんのような映子ママ。ある日の開店前に映子ママは店長たちを呼び出した。「夢を推すしかない」の店長・野地さんは黒字になった日はなく赤字が続いていた。デッドラインを提示され残された時間は1ヵ月。夢推しのピンチに続き、大変な事態が起きていた。さくらさんに映子ママから手術するので入院すると連絡がきた。