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「徳川家康」 のテレビ露出情報

2017年放送「おんな城主 直虎」。戦国時代に男の名で家督を継いだ井伊直虎の激動の生涯を描いた。柴咲コウが演じた井伊直虎は歴史上資料が少ない謎の人物。列強との間で板挟みの弱小国・井伊谷が舞台。出家し平和に暮らしていた直虎だったが、ある日、父で当主の直盛りが戦死してしまう。その後、家督を継いだのは直虎の幼なじみ・直親だったが、今川家に対し謀反を企てた罪で殺されてしまう。次々と跡目がいなくなった井伊家。そうして戦国時代では異例の女城主が誕生。柴咲は直虎に人生を変えられたそう。長年所属した事務所を退社し、2016年に個人事務所を設立。“やってみねばわからぬ精神”に生き様を集約してもらえたとのこと。女城主の前途多難な道のりを支えたのはもう1人の幼なじみで井伊家の家老・小野政次。井伊家が潰されぬよう今川寄りの姿勢を見せる。弱小国が生き残るため汚れ役を引き受けていた。政次は井伊家存続のため直虎を庇い死罪に。的に悟られないよう互いの思いと逆の言葉を交わす名場面を紹介。弱小国ながら幾多の危機を乗り越えてきた井伊家。しかし、後ろ盾がなくなると直虎は家の存続を断念。それぞれが新たな道へと進み、井伊家の跡取りであった虎松も徳川家に差し出された。数年後、戻ってきた虎松と再会。その人物こそ徳川四天王の一人として家康を支える後の井伊直政。直虎の気持ちとは裏腹に虎松は家康に井伊家を再興してもらおうと躍起になっていた。戦のないよう願う直虎の志を次第に理解していく虎松。やがて直虎の夢を実現させようと虎松は家康を支えることを決意する。その後、程なくして病に倒れた直虎は激動の生涯に幕を閉じる。直虎が亡くなった後も意志は虎松へと受け継がれていく。敵対する北条家を説得すると申し出る。柴咲は私にとってはターニングポイントだし、“新たな人生の始まり”みたいな感覚はあったと振り返った。

他にもこんな番組で紹介されています…

2026年9月12日放送 22:00 - 22:30 テレビ東京
新美の巨人たち新美の巨人たち
大英博物館が狩野宗眼重信の襖絵の中を見た際に、裏張りに奈良県の談山神社のものがたくさんでてきたという。ロンドン、シアトル、青森と離れ離れになった襖絵。もともとあった場所は奈良だった。談山神社の創建は飛鳥時代。幕末まで多武峰妙楽寺と呼ばれる神社習合の巨大寺院だった。きっかけは1612年。徳川家康の命で比叡山の賢盛法印が学頭に。多武峰を復興せよと、学頭屋敷の新設[…続きを読む]

2026年9月12日放送 20:07 - 20:55 NHK総合
新プロジェクトX幻の国宝 名古屋城本丸御殿 完全復元に挑む
昭和34年、戦争で焼け落ちた名古屋城天守が再建された。城を蘇らせたのは市民の熱い思いだった。地元の商店主たちが傘にメッセージを書き募金集めを開始。たちまち1億円が集まり工事を後押しした。だが本丸御殿は再建を果たせずにいた。2000年代、名古屋市民は再び動き出し50億円近い建設資金が集まった。
市民の期待を担う工事。責任者に抜擢されたのは市役所の若野二郎。2[…続きを読む]

2026年9月12日放送 13:05 - 13:50 NHK総合
豊臣兄弟!豊臣兄弟!紀行
徳川家康は、三河の岡崎城主・松平家の嫡男として愛知県岡崎市の岡崎城で誕生。幼名は竹千代といった。8歳の時に駿河(静岡県静岡市)の今川家に預けられ、臨済寺で学問の向上に励んだという。今川義元が信長に討たれるまでの約12年間、駿府の地で過ごした。その後、岡崎から浜松に拠点を移した家康は、武田氏との長きにわたる攻防戦を続けた。また、信長との同盟を維持するために嫡男[…続きを読む]

2026年9月10日放送 15:40 - 16:54 テレビ東京
よじごじDays高木菜那サイクリング旅
問題「井の頭池の湧水を使って徳川家康がしたことは?」、正解は「茶を淹れた」。徳川家康が湧水を関東随一の名水と褒めてお茶を淹れたと言われている。正解した小泉孝太郎らが吉祥寺さとう「元祖丸メンチカツ」を堪能した。

2026年9月8日放送 19:00 - 21:54 テレビ朝日
火曜の良純孝太郎(火曜の良純孝太郎)
八重洲の地名の由来は1600年に日本に漂着したオランダ人航海士ヤン・ヨーステン。オランダ語を日本語に通訳し徳川家康に重宝された。ヤン・ヨーステンの和名・耶楊子からやがて現在の八重洲に。関東大震災のあと街の再開発が行われ八重洲の地名が現在の場所へとなった。八重洲は江戸時代は町人のまちだったという。

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