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「徳川秀忠」 のテレビ露出情報

金屏風の超大作の二条城行幸図屏風。描かれた人物の数は1322人でひとりひとり出で立ちや表情も細やかに描かれ建物や丁度品まで精緻に描写されている。寛永3年の9月に時の後水尾天皇が二条城に行幸した際の行列で特筆すべきは、京のまちなみや見物する群衆を描かずに金粉によって隠している。その華やかさだけを描くという美意識。左隻には二条城の様子が描かれ、到着した天皇は顔を御簾で隠し、居並ぶ大名の中には徳川幕府の徳川秀忠の様子も。右隻には将軍の家光を始め参内する大名たちの行列が。その中には伊達政宗の姿もあるという。また岡田美術館の壁には風神雷神の金屏風が。縦12m横30mの風・刻という作品は琳派の開祖の俵屋宗達の風神雷神屏風をモチーフにした巨大壁画。描いたのは気鋭の日本画家の福井江太郎さん。仕上げるのに5年かかったという。福井さんが目指したものは400年経過した宗達の絵を描いたというが、金箔に汚れを描き、時の経過を表現した。福井さんの代名詞はライブペインティング。観客を前にして即興で描いていくがかつては葛飾北斎ら、腕に覚えのある絵師たちが行っていたパフォーマンスだという。
そのライブペインティングでは8枚のパネルに緊迫をはりつけ、衝立に設置。縦3尺横2間の金のキャンバスに15分で絵を描くという。使用する顔料は青と緑。まずは筆は使用せず手に直接絵の具をつけてそのままキャンバスへ。手で描いていくが指で青の色で表現したのは花菖蒲。福井江太郎の祖父は福井江亭。明治の円山派を代表する川端玉章を支持した画家だった。また父は洋画家で画家一家の4代目として生まれた。しかし本当に好きで絵を描いているのかわからなくなり、その葛藤でバレエや演劇に打ち込んだこともあった。その得意とするモチーフはダチョウ。日本画の枠に問わられないユニークな画法は高く評価され国内外問わず精力的に活動している。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年2月9日放送 16:30 - 17:25 テレビ朝日
日曜マイチョイス阿川佐和子の日曜マイチョイス
鉄砲を撃つための穴は場内に約1000か所ある。狭間の3種類の穴はデザイン性という。また、偶然北野大さん夫妻と遭遇した。
将軍坂で写真を撮った。にの門は鉄板で補強され強靭、敵兵が通りづらいようにする為、通路の幅を狭く高さを低くしている。
との一門は唯一白漆喰ではなく素木造りで1600年以前に建築されたといわれている。
化粧櫓は徳川家康の孫娘・千姫の為に姫[…続きを読む]

2025年1月29日放送 9:26 - 11:00 テレビ東京
なないろ日和!(特集)
常盤橋付近を歩き、訪れたのは、日本銀行。江戸時代には、金貨をつくる場所など金融街だったことから、金座と呼ばれた。明治時代に、日本銀行がつくられ、現在もその役割を果たしている。日本橋交差点から日本橋のたもとに向かった。訪れたのは、古地図で御高札と記された場所。御高札は、法令などを周知する場所で、当時は案内板が設置されていた。現在は、モニュメントが置かれている。[…続きを読む]

2025年1月26日放送 0:40 - 1:09 NHK総合
3か月でマスターする江戸時代(「天下泰平」の世はなぜ生まれたのか?)
なぜ豊臣氏をすぐに滅ぼさなかったのか。1598年に豊臣秀吉が死去。秀頼の将来を諸大名に託した。関ヶ原の戦いに勝利した家康は1603年に征夷大将軍に任命された。豊臣氏が滅亡したのは大阪冬の陣・夏の陣の後で、関ヶ原の戦いから15年も経っていた。牧原教授は、関ヶ原の戦い直後の時点では豊臣氏を滅ぼそうと考えていなかったという説が有力、家康は豊臣家の家来の一人にすぎず[…続きを読む]

2025年1月7日放送 23:50 - 0:35 NHK総合
歴史探偵(歴史探偵)
将軍家に後継者がいなかった場合、徳川御三家から将軍を擁立していた。徳川御三家は幕府のサポート的存在だったという。御三家の初代はいずれも家康の子どもで、兄に徳川秀忠がいたが20歳ほど離れていた。歳が近かったのは徳川家光だった。

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