広島城は毛利輝元が築城し「鯉城」の別名を持ち、戦災で焼失後に天守が再建された歴史的名所。横川商店街は小規模店が約200軒並ぶ、昭和の面影を残すレトロな商店街。買い物代を払う代わりに家を見せてもらう企画を実施。出会ったのは千葉から広島に帰省中の女性。食事をしたという「辰屋」をおすすめされたので立ち寄り、「冷やし肉ぶっかけうどん」(740円)を食べた。たまたま隣にいた常連・森川豊さん(82歳)に「家、ついて行ってイイですか?」とお願いするとOKしてくれたので、飲食代3,290円を支払い歩いて家までついて行った。妻に先立れ、息子達と一緒にネオン看板会社を経営している。3階建てで2階が事務所。看板屋は広島に250~300店もあったが、ネオンは特殊な電気の技術が必要なため、技術者が10人くらいしかおらず、戦後のネオン産業にいち早く参入した。ネオンは消えた状態だと白色で、内側に蛍光塗料が塗ってあると説明してくれた。父親は時計屋だったが、細かい作業が嫌いで継がなかった。戦争で母の田舎へ疎開し、大阪でネオンを学んだ。当時は競合が少なく、広島の歓楽街にある店舗のネオンを独占した。最盛期の年商は5,800万円くらい(現在の価値で約1億円)だったが、LEDの時代になってしまい、息子には申し訳ないと語った。
3階の自宅へ。築53年で間取りは5LDK。冷蔵庫を見せてもらうと、乳酸菌飲料が電池みたいな配列で冷えていた。食事は自炊し、冷凍庫にはこだわりのカレー。壁には油性ペンでメモが書いてあった。自作のガス切り忘れ防止ランプがあった。子どもは息子が3人、娘が1人。妻・かよ子さんは21年前に心筋梗塞で亡くなった。知り合いの紹介で23歳頃に結婚。闘病の末に三男が31歳で逝去し、その3年後に妻も亡くなったという。お盆になると娘のみゆきさん(50歳)と一緒に川の向こうにあるお墓にお参りする。ちょうどお盆で帰省した娘が母や兄について涙ながらに語ってくれた。母が最後に残した手紙を紹介した。横川商店街で森川さんの家について行ったら…年に一度のお盆の帰省で最愛の故人を偲び、家族の絆を確かめ合う時間に出会えました。
3階の自宅へ。築53年で間取りは5LDK。冷蔵庫を見せてもらうと、乳酸菌飲料が電池みたいな配列で冷えていた。食事は自炊し、冷凍庫にはこだわりのカレー。壁には油性ペンでメモが書いてあった。自作のガス切り忘れ防止ランプがあった。子どもは息子が3人、娘が1人。妻・かよ子さんは21年前に心筋梗塞で亡くなった。知り合いの紹介で23歳頃に結婚。闘病の末に三男が31歳で逝去し、その3年後に妻も亡くなったという。お盆になると娘のみゆきさん(50歳)と一緒に川の向こうにあるお墓にお参りする。ちょうどお盆で帰省した娘が母や兄について涙ながらに語ってくれた。母が最後に残した手紙を紹介した。横川商店街で森川さんの家について行ったら…年に一度のお盆の帰省で最愛の故人を偲び、家族の絆を確かめ合う時間に出会えました。
