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「急性吉本炎」 のテレビ露出情報

田村淳の講義のテーマはコンプライアンスについて。芸能界に入るきっかけで一番影響を受けたのは父と母だという。アメリカで父と母が本物の銃を撃った時の写真を見せた。母は「やりたいことをやりたいだけやりなさい」ということだったが田村淳は好奇心旺盛なのにビビりだったという。だが母は「三日坊主上等!」と言い、まずは挑戦することだと話していたとのこと。高2の夏にバンドブームが到来し、「JUN SKY WALKER(S)」「THE BLUE HEARTS」「ユニコーン」で田村淳は構成された形となりバスケットボール部をやめてバンドマンになると決めたという。そして「YAMAHA TEENS’ MUSIC FESTIVAL」に出て下関地区大会で準優勝しベストボーカリスト賞をもらったとのこと。そんな中で神様的存在だった「THE BLUE HEARTS」の甲本ヒロトがラジオ番組で2番目に好きなことを仕事にしたほうがいいと話したのを聞き、2番目に好きだったのが「とんねるず」だったためすぐに地元の漫才コンクールに出て優勝した。そのときに漫才をやっていたのは同じバンドのギターだった。そこから田村亮と出会ったことについて話した。テレビに出るようになった時に屋台に入ると甲本ヒロトがいて、2番目に好きなことを仕事にしたほうがいいと言われてここにいると話すと「絶対に1番やりたいことやった方がいいよ」と話されたとのこと。
ここからコンプライアンスの話となり、まずは「BINTA!」という企画から。当時はコギャルという生意気なギャルが沢山いて、ドクロを引いたら思いっきりビンタさせてもらい1万円を引いたら1万円をあげるという企画だった。続いては「ガサ入れ」という企画について。ガサ入れは浮気調査で彼氏から浮気しているかもしれないから家に突入し、浮気の証拠を探す企画だった。9割方が浮気してたとのこと。段々とこういう企画はできなくなったが、そんな中コンプライアンスに抗う時期があった。そこでは「タトゥー銭湯」という企画ではタトゥーを入れている人が温泉に行けないというニュースを見て、なぜかということや貸し切った銭湯に入ってもらい話を聞くなどということをやっていた。また「なぜホームレスに?」という企画ではホームレスのおじさんと仲良くなり1万円を渡すと競艇に行っていたことについて話した。そのとき「価値観をぶっ壊された企画」と出会い、それは「池の水ぜんぶ抜く大作戦」だった。コンプライアンスギリギリを攻める真逆に行った企画となっており、ブレーキを踏んで緩めるという番組に出会いまだテレビは面白いと思ったという。すぐに動く力を即動力と呼んでいるが、すぐに動かないと意味がないためAIアバターをすぐに作り始めたという。制作費は300万円かかると言いAIアバターの動画を見せていった。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年6月10日放送 0:25 - 0:55 テレビ朝日
有吉クイズ芸人版リアル人生ゲームを作ろう
ロンドンブーツ1号2号は1995年にTBS「急性吉本炎」に出演。1万円とビンタをかけて一般人と勝負する「BINTA!」でブレイク。「街中のギャルをビンタしてブレイクする。10,000円もらう。」のマスを作った。ロンドンハーツでは自分の彼女が他の男にキスするの何人耐えられるかという企画をやり、田村淳は今考えると何であんな企画をやっていたんだろう、イカれてると振[…続きを読む]

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