シャンソンの女王・越路吹雪。昭和14年、宝塚歌劇で初舞台に立ち、芝居・歌・踊りの基礎を宝塚で学んだ。宝塚を退団後の昭和27年、「愛の讃歌」をリリース。空前の大ヒットとなり、一躍トップスターに。この曲の訳詞を手がけたのは当時マネージャーを務めていた岩谷時子。2人はその後もシャンソンのヒット曲を連発。越路吹雪が生涯にわたって大切にしていたのが日生劇場でのリサイタル。16年間で500回以上の公演を行い、客席は毎回満員だったという。この公演のプロデュースを務めたのが音楽評論家・安倍寧。安倍寧は宝塚で鍛えた技と歌手・女優としての大人っぽさの両方を持った珍しい存在だった、シャンソンというジャンルを超えて越路吹雪は別物だったと話した。56歳でその生涯を閉じるまで情熱的なパフォーマンスで人々を魅了し続けた越路吹雪。自らのステージにかける思いを語った映像では聴きにいらっしゃる方のためにも、いいかげんなことはやりたくない。いつも何かの華でありたい、ずっと華は持ち続けたいと話していた。