鹿児島から山形へ行き、やって来たのは鶴岡市の松ヶ岡集落。明治維新で西郷率いる新政府軍と戦った庄内藩の土地である。西郷は敵方だったが肖像画は飾られていた。しかも集落56戸のうち7割の家で飾られている。なせ西郷と敬うのか集落の理事長である堀誠さんに話を聞くと、戊辰戦争で庄内藩は降伏を余儀なくされたが西郷の取り計らいもあり新政府は厳しい処分を下さなかったという。西郷の懐の深さに強く心を撃たれた藩士たちだがその思いを伺い知れる記録があった。庄内では元藩士70名以上を派遣し、西郷という大人物からこれからの国造りを学ぼうとした。そのアルバムは元藩士の末裔の家で発見されたものだった。中には西郷の側近中の側近であった別府新介や桐野利秋の貴重な写真もあった。元藩士の方々に写真を探したいと伝えたところ、明治5年に集落ができて以来の貴重な品を集めた場所へ案内してくれた。そこにあった金庫を開け、箱の中には大量の写真があった。明治初期、元藩士たちは刀をクワに持ち替え生糸やお茶を生産するための開墾に着手。数十万本の木を切り、土地を切り開く過酷な日々を送っていた。さらに探索を続けると西郷の手紙と記された箱が出てきた。書かれていたのはお茶の栽培を始めた松ヶ岡の人たちにお茶の名前の案で6つを送っていたという。古新聞の包みを開けると、出てきたのは画像が焼き付けられた金属板で銀板写真と似ていた。どこかに西郷の姿が写り込んでいないか探すと肖像画を金属板に写したものしか見つからなかった。