今年で戦後80年。戦没者の遺骨の収集は現在も解決していない。沈没した日本軍の船は3000隻以上。海没遺骨の収集は1%ほどと収集は進んでいない。吉田さんは太平洋戦争末期、父親を宮古島付近で亡くした。父親が乗っていたのは「燕」。亡くなったおおよその場所を特定し、千葉県の自宅から毎年のように島を訪れている。海で亡くなった30万人の人々の遺骨の収集は困難であり、国は原則行っていなかったが、2016年に戦没者遺骨収集推進法が成立し、収集を加速させることになった。吉田さんはいま病とも戦っているが、遺族ができることに限界も感じている。厚生労働省は「角度の高い遺骨情報の収集に取り組みたい」などと話す。