46年前の1978年にに放送された「時をかけるテレビ 今こそ見たい!この1本 食卓のかげの星条旗〜米と小麦の戦後史〜」を紹介。この年はは米あまりで余剰米は530万トンにのぼっている。大阪国際空港に米国西部小麦連合会会長・リチャード・バウムが降り立った。東南アジアにアメリカの小麦を売り込むのがバウムと出迎えた曽根康夫の任務だった。昭和29年1月、当時のアイゼンハワー大統領は35人の市場調査団を海外に派遣した。キッチンカーが全国の農村を回って小麦製品のデモンストレーションを行った。日本の学校給食を海外にPRするために作られたニュース映画ではパンの給食が映っている。当時給食は都市部に限られており農村地域への給食の普及にリチャード・
バウムが目をつけ文部省と協力してパン食を普及させた。また講演会や試食会も開かれ米食への攻撃も行われた。番組ではこの後米の消費が落ち込んでいった日本の状況も取り上げている。
バウムが目をつけ文部省と協力してパン食を普及させた。また講演会や試食会も開かれ米食への攻撃も行われた。番組ではこの後米の消費が落ち込んでいった日本の状況も取り上げている。