自閉症の子供たちが将来、自立できるように促す「療育」に生涯をささげた医師がいる。今年2月、83歳で亡くなった河島淳子医師。画家やアスリートも育んだその方法が注目されている。自閉症の療育をテーマにした映画が全国で上映されている。モデルになった河島医師は自閉症に対して独自の療育を考案。映画ではその療育法で自閉症の画家・石村嘉成さんを育んだことが描かれている。河島医師は、2月に83歳で急逝。教え子の石村さんが舞台挨拶で追悼した。トモニ療育センターは、河島医師が約30年前に設立して以来、全国から800人余りの自閉症をはじめとする発達障害の子と親が訪れている。自閉症は、脳の機能障害と考えられ、自閉症特有の学びにくさがあるため、言葉や知的発達、運動機能の遅れなどにつながりやすい。教えることを諦めると社会性が身につかないおそれがある。河島医師は言葉や運動を教え、障害による生きづらさを解消しようと考えた。まず学ぶ姿勢を身につけることから始める。河島医師独自の療育は、自らも自閉症の子を育てた経験に基づいている。3人目の息子は重い自閉症。河島医師は息子の運動機能を伸ばそうと2人で山を歩き、言葉や数の概念は手作りの教材で教えた。その経験を生かした教材を、改良を加えながら今も使っている。社会生活に最も必要なのは数の概念だという。重度の障害があっても適切な療育ができればやがて大きく花開く。
河島医師の療育で画家として花開いたのが、愛媛・新居浜市に住む石村嘉成さん。幼いころから大好きな動物を鮮やかな色彩で描く。自閉症にはコミュニケーションがとりづらい特性があるが、嘉成さんはやり取りを楽しんでいる。父親は、嘉成さんは決して軽度の自閉症ではないと言う。28年前、嘉成さんが初めてトモニ療育センターを訪れたときの映像を紹介。河島医師の療育を忠実に実践した母親の献身的な努力があった。しかし療育の成果を感じ始めた矢先、母親は病で他界。嘉成さんが11歳のときだった。その後、父親が療育を受け継ぐことができたのは、母親が残した膨大なリポートがあったからだ。嘉成さんの粘り強さや集中力は、母親が亡くなったあとも消えなかった。その力が画家としての成功を手繰り寄せた。河島医師の養育は、パラアスリートも生んでいる。
河島医師の療育で画家として花開いたのが、愛媛・新居浜市に住む石村嘉成さん。幼いころから大好きな動物を鮮やかな色彩で描く。自閉症にはコミュニケーションがとりづらい特性があるが、嘉成さんはやり取りを楽しんでいる。父親は、嘉成さんは決して軽度の自閉症ではないと言う。28年前、嘉成さんが初めてトモニ療育センターを訪れたときの映像を紹介。河島医師の療育を忠実に実践した母親の献身的な努力があった。しかし療育の成果を感じ始めた矢先、母親は病で他界。嘉成さんが11歳のときだった。その後、父親が療育を受け継ぐことができたのは、母親が残した膨大なリポートがあったからだ。嘉成さんの粘り強さや集中力は、母親が亡くなったあとも消えなかった。その力が画家としての成功を手繰り寄せた。河島医師の養育は、パラアスリートも生んでいる。