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「日中戦争」 のテレビ露出情報

イギリス領シンガポールの115年前の映像が残っている。人口の7割を占めるのは中国からやってきた華僑だ。19世紀後半にはすでに多くの華僑が世界に広がっていた。その中から経済的に成功する人たちも出てきた。19世紀のハワイ王国にも多くの華僑が移り住んでコミュニティを作っていた。1894年には興中会という清朝の打倒を目指す秘密結社が作られた。中心になったのは孫文だった。孫文は世界の華僑をめぐり、清朝に変わる近代国家の建設を訴えた。そして革命のための資金を得て、1911年に辛亥革命を起こして清朝は倒れた。
1912年に中華民国が建国されて孫文は臨時大総統に就任した。第一次世界大戦が始まるとヨーロッパに多くの中国人が渡った。その中にはトウ小平も含まれていた。1937年に日中戦争が起こると多くの中国人が難民になって多くの国に逃れた。そんな世界に散らばる華僑を一つにまとめたのは司徒美堂だ。司徒美堂はアメリカの華僑団体のリーダーで、アメリカの政財界にも影響力を持っていた。ただ日本はシンガポールへ進出し、そこで多くの華僑が粛清された。粛清を逃れた人の中には後のシンガポール首相のリー・クアンユーも含まれていた。
第二次世界大戦後は中国共産党が政権を握った。建国に尽くした華僑たちは新しい中国から暖かく迎えられた。一方で中国を離れて新たな華僑になるために海外に行った人たちも多くいた。戦後アジアの国々は独立を果たしており、インドネシアでは多くの華僑が殺されたという。マレーシアでも華僑などをめぐっていざこざがあり、マレーシアの首相は華僑が多いシンガポールの一方的な離脱を決めた。そのためシンガポールは独立することになった。その後シンガポールはアジアの奇跡と呼ばれる経済成長を果たしていく。
中国では毛沢東が手動する文化大革命の嵐が吹き荒れていた。中国建国の力になっていた華僑も弾圧の対象になっていた。1976年に毛沢東が死んで文化大革命は終わった。トウ小平は改革開放を掲げて荒廃した経済の立て直しに踏み出した。そのために華僑の力を借りたという。そして多くの華僑が祖国中国へ進出することになった。しかし1989年に天安門事件が起こり、民主化を求める学生たちを弾圧した。
その後も改革開放で豊かさに目覚めた人たちは中国を飛び出していった。密航料を支払って海外に出る人も多かった。天安門事件の3年後、指名手配を逃れた李録はアメリカで大学生になっていた。21世紀に入って中国政府が警戒しているのが、裸官だという。裸官は資産や家族を外国に移して、いざとなったら出国できるようにしている高級官僚のことだという。
2010年にアメリカから1人の華人が21年ぶりに中国を訪れた。それは李録だった。李録は世界的に知られる投資家になっており、若者たちに経済や社会の未来について語り続けている。現在でも多くの中国人が海外で亡命申請しているという。

他にもこんな番組で紹介されています…

2026年8月15日放送 17:30 - 18:50 TBS
報道特集(特集)
第一次世界大戦が戦争の形を変えた。総力戦と呼ばれる国家をあげた戦いに一般市民も最前線に送り出された。戦車や機関銃、次々と投入される新兵器。長時間にわたる塹壕戦のストレスが兵士たちに重くのしかかった。突然の痙攣や歩行障害などの症状はシェルショック(砲弾ショック)と呼ばれた。1937年7月、日中戦争勃発。戦線の拡大とともに日本の兵士たちにも精神的な変調を訴える者[…続きを読む]

2026年8月15日放送 4:00 - 4:45 TBS
TBS NEWS(ニュース)
日本赤十字社が全国から看護婦を召集するために配った紙。19歳の時にこの赤紙を受け取り、従軍看護婦として戦地に赴いた森原敏子さん(102)。従軍看護婦とは、陸海軍の監督下で軍医や衛生兵と共に日本兵の看護をしたナースの通称。このうち日赤の養成所を卒業した人は、救護看護婦とよばれ、国内外の病院に約3万人が派遣された。敏子さんも看護婦を目指した1人。この頃看護婦は女[…続きを読む]

2026年8月14日放送 15:49 - 19:00 TBS
NスタNO WAR つなぐ、つながる
日本赤十字社が全国から看護婦を召集するために配った紙。19歳の時にこの赤紙を受け取り、従軍看護婦として戦地に赴いた森原敏子さん(102)。従軍看護婦とは、陸海軍の監督下で軍医や衛生兵と共に日本兵の看護をしたナースの通称。このうち日赤の養成所を卒業した人は、救護看護婦とよばれ、国内外の病院に約3万人が派遣された。敏子さんも看護婦を目指した1人。この頃看護婦は女[…続きを読む]

2026年8月12日放送 23:00 - 23:56 TBS
news23NO WAR つなぐ、つながる
京都霊山護国神社で1941年に撮影された写真には戦地に送り出された兵士たちの家族たちが写っており、その女性たちは敗戦後に過酷な運命を歩むこととなった。京都市で暮らす103歳の小西はヘルパーとともにケアハウスから自宅に戻っていた。自宅で小西は結婚当時の写真などを整理していた。婚姻数の推移を紹介。小西は戦時中には産めよ殖やせよと女が子どもを産む機械みたいに言われ[…続きを読む]

2026年8月1日放送 4:50 - 5:20 テレビ朝日
テレメンタリー2026テレメンタリー2026
被爆者の切明千枝子さんは15歳のときに、爆心地から1.9キロの場所で被爆。病院に行く途中だったという。95歳を超えても尚、多い時に週に3日語り続ける。伝えるのは軍と広島の記憶。長年後悔してきたという思いと、その後の思いを短歌に託した。切明さんの取材を始めたのは6年前。戦前に軍服などを作る工場で被爆建物である旧広島陸軍被服支廠の解体問題が出たときだった。当時県[…続きを読む]

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