福岡県田川市は盆踊りの定番曲「炭坑節」発祥の地で明治中期に栄えた日本有数の炭鉱町。第14回TAGAWAコールマイン・フェスティバル炭坑節まつりの会場を訪れ、屋台で好きなものを買う代わりに家を見せてもらう企画を実施。出会ったのはステージで炭坑節を披露していた月咲SEED(サクシード)の皆さん。ちほさん(30歳)の自宅を見せてもらうことになった。食べたのはカレー(500円)。ちほさんの愛車エクリプスクロス(三菱・約300万円)に月咲SEEDのメンバーと一緒に乗って出発。ちほさんの担当はサブボーカルとダンサー。ちほさんの実家は真言宗天樹院大日寺。兄・光巌さん(46歳)が跡を継いでいる。紫燈大護摩供養祭の様子を紹介。炎で悪気を焼き世界の平和や個人の祈願をするという。ちほさんはバツイチ。メンバーと別れ、長女・衣舞さん(7)と帰宅。自宅は縦27m・横55mの豪邸だった。正面は閂で閉める大きな門のため、横の勝手口から入った。庭も広く、敷地面積は450坪ある。玄関には「慈恵庵」と書いてあった。母の名前だという。この家は日本セメントの持ち物だったものを母が購入。ラグドール(猫)を飼っていた。ちほさんの職業は日本舞踊の師範。泉流で名前は泉千代春。部屋には着物がたくさんあった。帰宅した母・慈恵さん(71)にも話を聞いた。兄が継ぐはずだったが、他界したので慈恵さんが跡を継いだ。仕事が忙しく家にいなかったので、ちほさんは寂しい思いをしていたが、お坊さんはカッコ良いと語った。台所も大きかった。家は築100年の12LDKだった。父・敏明さんは83歳。ちほさんは52歳の時の子どもで慈恵さんとは12歳差。敏明さんの趣味は競馬。勝つために部屋は招き猫など縁起物がたくさんあった。女性僧侶がいると聞いた敏明さんが見に来て出会った。3万円分のお札で飛行機を折ってお賽銭箱に入れて帰ったのがカッコよく感じたという。お金が早く帰ってくるように飛行機にしたらしい。慈恵さんはあれに騙されたと振り返った。慈恵さんもバツイチ。ちほさんの兄・3人は前夫の子ども。ちほさんだけが敏明さんとの間に生まれた子ども。慈恵さんは前を向いて教えると押し付けになる。後ろ姿でこの子達に悟ってほしい。子どもがおかしい時は親もおかしいと語った。