1972年、田中角栄元総理が掲げた「日本列島改造論」。田中角栄氏の元秘書官・小長啓一氏は雪深い新潟を東京並みの生活レベル、工業水準レベルにしないといけないというのが田中角栄氏が代議士になる原点。それが列島改造の原点ではないかと話した。また、政治家としての田中角栄氏には構想力・決断力・実行力・人間力が備わっていたと話した。列島改造の考え方は今も生きているという。小長啓一氏は石破総理が令和の日本列島改造と言われるのは田中角栄氏の考え方をそのまま生かしているからだと話した。ただ、当時と比べて現在は状況が大きく変化している部分もあるといい、グローバル化の進展によって地方の発展が遅れたと話した。