亡くなる2週間前、五百旗頭さんはアメリカと中国が世界秩序を前向きに作っていく姿勢はなかなかとれない、そういう中で日本とヨーロッパが正気を失わずに国際秩序を支えていかないともたないと話していた。2023年10月、最晩年の五百旗頭さんは福田元総理とともに北京を訪れ、日中平和友好条約45周年の記念行事に参加していた。中国の政権中枢と直接対話することがもう一つの狙いだった。五百旗頭さんは、近年の不透明な日中関係を最後まで危惧していた。2000年、小渕総理は国内を代表する知性を集め、21世紀を貫く日本の基本指針をまとめた。外交安全保障部長の座長を務めた五百旗頭さんとともに指針を取りまとめた和田純さんは、指針をまとめる際に作成された資料をすべて保管しており、五百旗頭さん直筆の原案も残されていた。日本の安全保障には日米同盟が不可欠だとしたうえで、並んでアジア諸国との友好的な関係を重視し、隣国との関係構築を主体的に推し進めるべきだと打ち出していた。公式な外交に加えて民間の交流も含めて二重三重の関係を主体的に築いていく「隣交」という外交姿勢を、21世紀の日本外交の指針にしようとしていた。