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オープニング映像。
未完のバトン第2回は、去年亡くなった政治学者・五百旗頭真さんが残した政権中枢との記録を通して日本の進路を見つめる。30年余、五百旗頭さんは時の総理から低減を求められていた。不透明な国際情勢の中、理想とリアリズムに裏打ちされた外交の重要性を説いた。
亡くなる2週間前、五百旗頭さんはアメリカと中国が世界秩序を前向きに作っていく姿勢はなかなかとれない、そういう中で日本とヨーロッパが正気を失わずに国際秩序を支えていかないともたないと話していた。2023年10月、最晩年の五百旗頭さんは福田元総理とともに北京を訪れ、日中平和友好条約45周年の記念行事に参加していた。中国の政権中枢と直接対話することがもう一つの狙いだった。五百旗頭さんは、近年の不透明な日中関係を最後まで危惧していた。2000年、小渕総理は国内を代表する知性を集め、21世紀を貫く日本の基本指針をまとめた。外交安全保障部長の座長を務めた五百旗頭さんとともに指針を取りまとめた和田純さんは、指針をまとめる際に作成された資料をすべて保管しており、五百旗頭さん直筆の原案も残されていた。日本の安全保障には日米同盟が不可欠だとしたうえで、並んでアジア諸国との友好的な関係を重視し、隣国との関係構築を主体的に推し進めるべきだと打ち出していた。公式な外交に加えて民間の交流も含めて二重三重の関係を主体的に築いていく「隣交」という外交姿勢を、21世紀の日本外交の指針にしようとしていた。
五百旗頭さんが政権のトップと本格的な対話を始めたのは、小渕総理の時代からだった。小渕総理は韓国との関係をまず構築し、それを中国との外交につなげようとしていた。小渕総理が韓国を訪問する際、高麗大学で予定されていた講演についてのアドバイスが残されていた。反発も予想される中、「聞かせる演説草稿」「問い詰められたら誠実・真摯・前向きに具体的事実をあげて説得的に語る」「温容・笑顔・ユーモアもほしい」などどのように語りかけるかを助言していた。小渕総理は、日韓が協力して経済文化の面でも二重三重の関係を作っていこうと訴え、反発する人にも「日本に来てほしい」と呼びかけた。
アジアとの協調関係を構築しようとする中、一貫して課題となってきたのが歴史認識を巡る問題だった。中でも小泉総理の靖国神社への参拝は大きな波紋を呼んだ。官房長官の福田官房長官は当時、有識者を集めて小泉政権の国家戦略に意見を求め、そこには五百旗頭さんも加わった。五百旗頭さんは、参拝するなら関係改善に努めてきた金大中大統領に信義を尽くすべき、大国は自分の国への友好ゆえに苦労している人に対してそれを評価する雅量がないといけないと主張していた。和田さんは、この時代に想定していたテーマは解決されていない、こういう方向で考えるべきだといって出したものは間違ってるとは今も思わないと話した。
五百旗頭さんは、日米同盟を基軸とする外交を主張してきた。2001年からの対テロ戦争では、自衛隊によるアメリカなどの艦隊への給油活動を評価。自衛隊の海外派遣は平和主義に反するとの批判もでる中、国際秩序維持に日本も役割を果たすべきと主張。国際社会の現実を見つめるリアリズムを重視し、時代の転換期こそ国家としての大きなビジョンが必要だと訴えてきた。
日本は日米同盟を基軸としながら、もう一つの大国である中国と向き合っている。日中関係の土台になってきた「戦略的互恵関係」についての合意は、そこに至るまでに日中の民間レベルの長い対話があった。2003年から始まった新日中友好21世紀委員会は、当時国家主席が日本との関係を重視する胡錦濤に変わったことで発足。日中両政府の委託を受けた民間の有識者が議論し、それぞれの政府に提言することが求められた。中国側が日本の歴史に認識に批判を繰り返すたび、対話は暗礁に乗り上げた。五百旗頭さんは、不幸な歴史だけでなく戦後の平和国家としての歩みにも目を向けるべきだと主張し、本音の議論を交わそうとした。対話に参加した國分良成さんは、本音の議論を重ねたことで信頼関係が生まれ、戦略的互恵関係の合意に役立ったと考えている。その後、民間の対話がつないできた日中のチャンネルが、公的な関係構築につながっていった。2006年の日中首脳会談で打ち出された戦略的互恵関係は、互いに共通の利益を拡大させ、日中の関係を発展させていこうという合意だった。首脳会談では日本側が「平和国家としてのこれまでの歩みをこれからも続けていく」と発言したのに対し、中国側は「積極的に評価する」と発言した。
2008年5月に日中首脳会談が行われ、夕食会には五百旗頭さんも招かれた。このときに東シナ海を平和・協力・友好の海とすることが合意された。当時中国は排他的経済水域の境界が定まっていない中ガス田の上に櫓を一方的に建設し、日本が抗議していた。五百旗頭さんは、21世紀委員会で東シナ海を平和の海にしようと提案したが中国側が誰一人賛成しなかった、しかし福田さんが胡錦濤に提案したら合意されて日本外交の資産になったと話している。当時総理として首脳会談を進めた福田は、一緒に良くなることを目指す国家であってほしい、そのためのお手伝いがあればしてあげたい、相手からも存在意義を認めてもらえることを目指していかなければいけないと話した。覇権主義的な傾向を強める中国と再び軋轢が深まる中、日中は戦略的互恵関係を首脳会談で確認し、両国が立ち戻る枠組みとしての役割を果たしている。
五百旗頭さんの遺品の中から、沖縄本土復帰50周年の際の岸田総理との会見のメモが出てきた。今こそ改めて沖縄に向き合うべきだと訴えていた。亡くなる4か月前、五百旗頭さんは沖縄に足を運んでいた。沖縄にアジアとの交流を図る平和と文化の拠点を作る運動を支援していた。国際情勢の現実の中で沖縄の基地を減らすことは難しいと考え、だからこそ日本全体で支援に取り組むべきだと訴えていた。五百旗頭さんは去年3月に80歳で亡くなった。
エンディング映像。
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